父の教え
人よりも牛が多いような北海道の海街で生まれ、中学時代はそれはやんちゃで生意気な娘でした。幼い頃から柔道少女。小学生からはラグビーをやらされたおかげで、年中真っ黒で男の子顔負けの逞しい娘っ子に育ちました。そんな私の父は柔道家でラガーマン。ハゲ&ヒゲもじゃの熊親父です。最近は髪も髭も真っ白になり、仙人に進化中。
父は、よその子でもゲンコツ食らわせて叱り飛ばす、怖〜い雷親父(昭和の化石のような人間)であると同時に、人間が好きで、小さな子どもや困ってる人のことは、絶対にほっとけない、心優しい人でもありました。
そんな父には、よく「中途半端はするな」と言われたものです。
「遊びも真面目も全力でやれ。なんでも中途半端にしてたら、中身が空っぽな人間になる。そんなダサい人間には絶対になるな!」と。
中学時代、漁師町のやんちゃなお友達と悪いこともいっぱいしました。酒もたばこも、手に入るような時代でしたから。だから、痛い目にもあったし、失敗もいっぱいしました。そんな時、親なら叱り飛ばすのでしょうが、父はいつもツラッとしていたものです。
「やるならやれ。ただし、中途半端はするな。ヘマしても自分で尻(ケツ)をふけ」と言うだけでした。
母にはもちろん止められ、叱られていましたが、父の対応は今考えても大したファンキーさです。
と、いうのも、彼の中には「死んだり死なせたりしなければ、どんな失敗も悪さも大したことない」という強い信条があったのです。
「やりたいことはやって、早いこと痛い目をみればいい。それこそが教科書に載っていない真の学びだ。若い時に失敗した方が、後からいい顔した大人になる」堂々と言い放って、学校の先生が口をあんぐり開けているのを目の当たりにしたこともあります。
でも、ある意味、芯が通っていた。
…今思うと、突き放されていた方が、意外と胸に手を当てて一つの行動、一つの言動を判断していた気もします。
「責任は自分でとれ、俺は止めないよ」
そうなると、自分を守るのは、自分。
「好きにしろ」と突き放されると、「え…いいの?」とひるんだりビビったりしてしまい(結局覚悟がないので)見事に心理戦でコントロールされていたのかもしれません。
案外ストッパーがない方が人は慎重になる、ということです(笑)
ただし。
人を傷つけたり、バカにしたり、命の危険が伴うことがあろうものなら、殺されるかと思うほど殴られました。特に立場が弱い者への振る舞いや態度については、しっかりと躾けられたと記憶しています。
泣いても謝っても取り返しがつかないことがあると学びました。それでもって、今のワタシができている。そう思うことが最近増えました。
良くも悪くも子ども扱いされず、対等な関係で向き合ってくれた父。
恐ろしさも、優しさも併せもつ背中から学んだこと。
それは
「自分の生き方は自分で決めろ」
「自分の選択に責任を持て」
「中途半端に生きるんじゃねえ」
強烈で、人間臭くて、そして温かい。
魂をぶつけて、大切なことを教えてくれた父のことが
私は大好きです。
写真は、結婚式をあげたビーチで、やどかり見つけて大喜びしている父。笑
式の日は、それはそれは喜んで、笑って、泣いて、酔っ払って、終わった途端にロビーで大爆睡かまして。笑
自由で、ハッピーな、尊敬すべき最高のダディです。