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一流の女 #パルプアドベントカレンダー2024
12月24日。世間はクリスマス・イブで浮ついているが、美鳥は重苦しい気分だった。
「結局、今年も朱鷺子の誕生日に帰るって約束を守れなかったわね」
この日は娘である朱鷺子の誕生日だったので、一緒に食事をとろうとしたのだが、それがダメになったのだ。
会社を経営する美鳥は多忙だ。どれほどスケジュールを調整し、娘のための時間を作ったとしても、より優先しなければならい重要案件が前触れもなくやってくるのは日常茶飯事だった。
美鳥は胸ポケットからスマホを取り出す。
「はぁ」
指が動かなかった。
約束を守れなかったのはこれが初めてではない。そのたびに腹を立てる朱鷺子をなだめなければならなかった。
娘はまだ子供だから世の中をよくわかっていない。会社経営というのは子育ての片手間にできるようなものではないのだ。
重要な取り引き相手との約束と家族との約束。どちらが重要であるかは言うまでもないが、子供にはまだ理解できない。
スマホの画面に表示されている時刻を見る。15分後にはまた別の案件を対応しなければならない。
不毛な事はさっさと終わらせなければならなかった。
『何、お母さん』
つっけんどんな口調。これからくるであろう言葉の嵐に美鳥はますます憂鬱になる。
「ごめんね、急な仕事が入って約束を……」
『もういいよ』
「え?」
『だから、私とは何も約束しなくていいよ』
「急にどうしたの? 妙に聞き分けが良いじゃない」
『去年の誕生日の時に言ってたじゃない。死んじゃったお父さんと一緒に立ち上げた会社を守るために自分は忙しいんだから、無意味な事で時間を浪費させないでって』
そういえば、去年時は喚き散らす朱鷺子に対してそのような事を言った気がした。
『だから私は反省したの。お母さんを困らせないよう。もう二度と、私と約束しなくていいわ』
娘はもう中学生だ。2割か3割程度は大人であるべき歳ごろになる。ようやく物事の道理というものを理解し始めたようで、母として美鳥はホッとした。
『誕生日プレゼントだっていらないわ。そんなものを選ぶのに時間を浪費するわけにはいかないんでしょう?』
「助かるわ。かわりにお小遣いは多めにしてあげる」
『ありがとう。じゃあお仕事頑張ってね』
そういて娘との通話を終えた。
「あ、おめでとうって言うの忘れてたわ」
しまったと思うが、あと3分後には出かけなければならない。重要な取引先との忘年会に出席する予定があった。
「まあ、言わなくても愛は伝わってるから大丈夫ね」
美鳥は執務机に飾ってある娘の写真を見る。
何もしなくとも伝わるのが愛情というものだ。いちいち口に出すのは時間効率が悪い。
このクリスマス・イブ以降、美鳥は娘のわがままに煩わされる事なく仕事に専念できた。
それから15年の月日が流れた。
美鳥の会社は日進月歩の成長を遂げ、今や世界有数の大企業となった。
一流の女。それが世間からの美鳥の評判だった。きっと娘もそれを自分の名誉であるかのように喜んでくれるだろう。
ある年のクリスマス・イブの夜に、美鳥は朱鷺子と連絡をとろうとしていた。
娘は有名大学を卒業し、美鳥の元を離れて働いている。美鳥が経営しているのとは違う会社に就職した。自分の膝下に置かなかったのは、社会の厳しさを経験させるためだった。
だが今の娘は社会人として十分な経験を積んでいるだろう。
美鳥は朱鷺子に会社を継がせたかった。そのためにも、そろそろ手元において仕事を覚えさせたほうが良い。
今夜はその事を伝えるつもりだ。
昔は誰が相手であれ、電話1本かけるのだってスケジュール調整しなければならなかったが、今は優秀な部下が数え切れないほどいるので、この程度の暇な時間はあった。
『お母さん、どうしたの?』
電話口から聞こえる娘の声に美鳥は違和感を持った。
(あの子ってこんな声だったかしら?)
最後に朱鷺子と話したのはいつだったかと思いだそうとする。
そして娘とのまともな会話は、15年前のあのクリスマス・イブ以来だったのに気づく。
あの日以来、たまに帰宅しても、娘は自室にこもって勉強をしていた。
立派な人間になるために努力しているのだからと邪魔するべきではないと、美鳥は娘に声をかけなかった。
何かしらの連絡が必要な時はいつもメッセージアプリで済ませていた。いちいち電話をかける時間すらない美鳥にとって、そちらのほうが都合が良かった。
(15年ぶりなのだから、声が違って聞こえるのは当然ね)
違和感の原因に美鳥は納得する。
「ちょっとあなたに話す事があって。あなたも立派な大人になったから、そろそろ私とのところで働いてもらおうと思って」
『必要ないわ。今の仕事を気に入ってるの』
「現状に満足するのは安定じゃなくて退化よ」
一流の人間は常に上を目指す。それが美鳥の流儀だ。だから娘もそうあるべきだと彼女は考えていた。
「それに朱鷺子はもう28でしょう? そろそろ結婚だって視野にいれるべきよ」
『もう間に合ってるわ』
「あなたもしかして一生独身でいるつもり? ダメよ、それじゃあ」
『でしょうね。娘が結婚もせずにフラフラしてたんじゃ、お母さんは一流から転げ落ちるんでしょうから』
露骨に皮肉った言い方に美鳥はカチンときた。
「ちょっと、そんな言い方はないでしょう? 私はあなたの幸せを思って……」
『アァァン! アァァン!』
その時、電話口から赤ん坊の鳴き声が聞こえてきた。
『ああ、よしよし。起こしちゃてごめんね』
朱鷺子が赤ん坊をあやしている。
「え? ちょっと、何があったの」
『悪いけどもう切るわね。とにかく私は大丈夫だから、大好きな仕事に専念していて』
「あ、ちょっと!」
ブツリと娘は電話を切った。
わけがわからない。
(どうしてこんな事に?)
美鳥は執務机に飾ってある娘の写真を見ようとして、それがないのに気づく。
(そういえばあの時、引き出しにしまってたんだわ)
半年ほど前、美鳥は執務机に大量の書類を広げて仕事をしていた。その時、写真立てが邪魔だったから引き出しにしまって、今までそのままだったのだ。
「社長、出発の時間になりました。車の準備はできております」
秘書が迎えに来た。これから最も重要な取引先が主催するクリスマスパーティーに参加しなければならない。
美鳥は会場へ向かう車の中から、アプリで娘にメッセージを送る。
《美鳥:あなたのところにいる赤ん坊は誰?》
少しして返信が来た。
《朱鷺子:私の息子よ。2年前に結婚したの》
《美鳥:なぜそんな大事な事を黙っていたの?》
《朱鷺子:結婚式も出産も、どうせ仕事を優先して立ち会えないでしょ》
反論しようとしたが、スマホをタップする指が止まる。
仮に朱鷺子の結婚式や出産の日に、緊急の案件が迷い込んだら自分はどうするかと想像する。
たかが誕生日ならともかく、結婚式や出産ほどの出来事なら、当然立ち会う。多少会社に損失が合っても構わない。母親ならそれが普通だし、美鳥にとっても普通だと感じられるはずだった。
だが、自分の心の片隅に、命よりも大事な会社に関わる事は、わずかでも妥協したくないとする気持ちがこびりついているのに気づいた。
《美鳥:今まで蔑ろにしてごめんなさい。でもこれからは決してそんな事はしない。今は優秀な部下がいるお陰で少しは暇な時間が出来たから、あなたの母親としてこれまでの事を償うわ》
《朱鷺子:暇じゃなきゃできない償いなんていらないわ》
暇という表現が失言になってしまったと気づき、美鳥は背筋が凍りついた。
何か弁解しなければ。しかし、その言葉を探しているうちに、朱鷺子が新しいメッセージを送ってきた。
《朱鷺子:あなたの償いたいという気持ちは、罪悪感じゃないわ。娘に愛想をつかされると一流じゃなくなるから、その失点を挽回するためなのよ》
その言葉は心臓を短剣で貫かれるがごとく、図星だった。
一流の女である事。それが美鳥の人生にとっての全てだった。夫を選んだのも、一流の女にふさわしい男だと思ったからだし、娘を生んだのも母親になりつつも仕事を精力的にこなす女が一流だと思ったからだ。
《朱鷺子:私はもう十分幸せだから、何をどう償おうとも無意味よ。あなたのする何もかもが、私にとって不要なの。自分の人生がそうなるように、私は13歳の誕生日からずっと努力してきたわ》
スマホの画面に最後の言葉が表示される。
《朱鷺子:だから余計な事をして私の幸せを台無しにしないで》
娘に見捨てられた。いや、そもそも見捨てられたと表現できるほど、美鳥は母親をやっていなかった。
冷たく、巨大で、分厚い壁があるのを感じた。
朱鷺子は窓の外をぼんやりと眺める。
車が赤信号で停まった時、ふと、一組の親子連れが目に入った。母親と娘だ。
娘はいかにもクリスマスプレゼントといった箱を抱えている。
親子は自然と笑い合っていた。
朱鷺子はその母親が輝いて見た。身なりから察するに、自分の年収の足元にも及ばない稼ぎしかないであろう3流の女が、まるでダイヤモンドのように見たのだ。
信号が変わり、車が発信する。
親子は見なくなる。
(娘と仲が良いなんて、そんなのは母親だったら当たり前よ。だからあの女が、私より格が上なんて事はありえない……ありえないのよ)
自分の思考がただの現実逃避であると美鳥は自覚していたが。しかし、そう考えなければ自分の心を守れなかった。
(母親をやるのを失敗した程度、ただの”つまずき”よ。私はそんな事がくだらないように見るくらい、実績を上げてきた。私は一流の女。一流の女なのよ)
そうやって自分を納得させようとすればするほど、美鳥は惨めな気持ちとなる。
そして、あのどこにでもいる平凡な母親の姿は、もはや消しされないほどに強く、美鳥の脳裏に焼き付いていた。
【おわり】
本作は「パルプアドベントカレンダー2024」の投稿作です。
明日12月16日の担当者はタイラダでんさんです。