【小説ワンシーン集】ゴールデンなでなでレトリバー
成績が芳しくない。このままでは志望校の現役合格は難しいだろう。赤木鳩美は憂鬱な気持ちになった。
思考が、上手く働かなかった。ストレスで勉強に身が入らない。
誰かに相談するのは無理だ。悩みを相談するというのは、この世で最も不毛な行いだと鳩美は知っている。みんな同じ苦労している、甘えるな、努力が足りないだけ、そう言われてますます落ち込むだけだ。
結局のところ、自分の悩みは自分でなんとかするしかないのだ。
だからせめて休みの日は気晴らしをしようと外出してみたものの、自分が何をしたいのか全く分からなかった。欲望の想像力が枯渇するくらい、自分は精神的に打ちのめされているのだと鳩美は気づく。
「はぁ」
公園のベンチで鳩美はため息を吐いた。こんなことなら、1日中寝ていたほうがまだ建設的だ。眠れば意識を失う。その間だけは苦痛を感じずにすむ。
「お嬢さん、お嬢さん、ずいぶんと落ち込んだ様子ですね。ひとつ私を撫でてはいかがでしょう?」
いつの間にか犬がいた。ゴールデンレトリバーだ。
「もうだめね」
鳩美は自嘲的につぶやいた。とうとう犬が喋る幻聴が聞こえてきた。
「あなたどうしたの? 飼い主は?」
いっそこのまま狂ってしまえと、やけっぱちな気分になった鳩美は見知らぬゴールデンレトリバーに話しかける。
「飼い主はいません。私は世界中のゴールデンレトリバーの、人に撫でられたい気持ちが集まって心が宿った生霊のようなものですからね」
「生霊」
「ええ、そうなんです。ほら」
ゴールデンレトリバーはたまたま近くを通りかがった人にぶつかりに行った。ゴールデンレトリバーの身体はすぅっと通り抜けていった。
「本当に生霊なのね」
「はい! というわけでひと撫でいかがでしょうか? 私は撫でられて嬉しい、あなたは気持ちが安らぐ。ウィンウィンだと思いませんか?」
ゴールデンレトリバーはにこにこしながら言う。日光を浴びて体毛が金色に輝いていた。
「それもそうね。でもすり抜けちゃうんじゃない」
「それはご安心を。さっきの人は波長があわないのですり抜けたのです。お嬢さんとは波長があうので、生きたゴールデンレトリバーと同じようにさわれますよ」
「なら遠慮なく」
鳩美はゴールデンレトリバーに手を伸ばし、なでなでする。
最初は頭を撫でて、しだいに首、胸を撫でる。
「あ、ああ! いいですねえ」
ゴールデンレトリバーは気持ちよさそうに寝転がってお腹を見せた。鳩美は両手でお腹をなでなでする。
「あ、そこ、そこを重点的に! あ~」
気がつくと鳩美は気持ちがいくぶん軽くなったのを感じた。
「いやあ、結構なお手前で。もしかして以前にゴールデンレトリバーを飼ったことが?」
「飼ったことはないけど、昔におばあちゃんが飼ってた子をよく撫でさせてもらってたわ。その子は私が中学生の時に死んじゃったけど」
「そのゴールデンレトリバーはあなたに撫でられてきっと嬉しかったと思いますよ。実際い撫でもらった私が言うから間違いありません」
何か肯定的な言葉をもらったのはいつぶりだったろうかと鳩美は思う。ここ最近はどんなに頑張っても、「頑張りが足りない。もっと頑張れ」としか言われなかった。
「もしよろしければお嬢さんのお宅にしばらくご厄介になってもよろしいでしょうか。そうすればいつでも私をなでなで出来ますよ」
「う~ん」
いままでペットを、ましてや大型犬を飼ったことがない鳩美にそれは心理的ハードルが高かった。
「先ほど言ったように、私は生霊のようなものです。毎日撫でていただけれたら餌はいりません。それに私の姿は今のところあなたにしか見えませんから、ご家族が犬嫌いでも大丈夫です」
「そうなの?」
いつでも好きな時にゴールデンレトリバーを撫でられる。しかもペットを飼う上で必要な費用も義務も無しときた。彼の提案は鳩美にとってまさに救済だった。
「じゃあ家に来る?」
「はい! 喜んで!」
ゴールデンレトリバーはパタパタと尻尾を振った。
こうして鳩美はゴールデンレトリバーの生霊? と生活をともにすることにした。