真実は二つ、嘘は一つ【本掲載版】
本作は逆噴射小説大賞2020年に投稿した作品の本掲載版です。
俺は警官の言葉が信じられなかった。
「真美子が存在しない?」
「事実です。来亜誠さん、あなたは電脳をハックされ、偽の記憶を植え付けられました」
「そんな馬鹿な。現に彼女と撮った写真がスマホに……」
真美子の写真はなかった。一枚も。
着信履歴やメッセージログなど、彼女を示すものは一切ない。
このスマホは生体認証式だ。所有者以外にデータの削除はできない。大切な思い出を消すわけがないから、つまり最初から写真データは存在しなかった。
「真美子なる女性はあらゆる記録に存在しません」
警官は残酷な真実を告げる。
真美子との思い出が全て偽物?
彼女の故郷で開かれた夏祭りを楽しんだ。初日の出を見ながら新しい年を受け入れた。季節の移り変わりを真美子と一緒に過ごした。
あの輝かしい日々が全て嘘……
ポタポタと涙が落ちる。泣くのは何年ぶりだろうか。
「でも記憶の改ざんは不可能だとされていたはずじゃ……」
脳に機械を埋め込んでコンピューターと直結可能とした電脳には、当然ハッキングのリスクが有る。
ただし記憶は複雑なデータだ。単にコピーしたり、別人の記憶とまるごと入れ替えるような大雑把な操作が限界で、元の人格を保ったまま一部の記憶のみを改ざんなんて器用なことはできない。
「いえ、リライターが関与している可能性があります」
「リライター? 唯一記憶の改ざんが出来るハッカーと言われている? あれは都市伝説じゃなかったのか……」
なぜ? 俺の頭の中にはそれしか無い。なぜリライターが俺の脳に存在しない女性との思い出を埋め込んだ?
「偽の記憶は消せるのか?」
「現在の技術では不可能です……残念ながら」
警官は心から同情した様子で告げる。
気がついたら自宅のソファに座っていた。どうやって帰ってきたのか、ショックのあまり覚えていない。
玄関のチャイムが鳴る。一体誰だ? 今は一人になりたいのに。
「誠! 今すぐここから離れるわよ」
訪ねてきたのは流暢な日本語を話す金髪の美女だ。
女は俺の腕を掴んで連れ出そうとする。
「待て待て。あんたは一体誰だ?」
「私はトゥルース。記憶を操作されて覚えてないだろうけど、私は誠の……!」
その時、突然トゥルースは銃を抜く。
銃口が狙う人物を見て俺は驚愕する。
「真美子!?」
彼女もまた銃を構え、トゥルースをにらみつける。
「誠を離しなさい!」
状況はさっぱりわからないが、今はいい。
真美子は実在していた!
「良かった、思い出は嘘じゃなかった……」
真美子に近づこうとすると、トゥルースは俺の腕を掴む力を強めた。
「騙されないで。あの女はリライターよ。あなたを利用するために、自分が恋人だと偽の記憶を植え付けたの」
「私を信じて、思い出は本物よ! トゥルースは全ての記録から私の情報を消し、私とあなたを引き離そうとしているのよ」
俺は銃を突きつけ合う二人を見比べる。
どちらが真実で、どちらが嘘なんだ?
かりに真美子が真実だとして、しかし銃を構える今の彼女の姿は俺が知らないものだ。
「真美子は武装ハッカーだったのか?」
「……黙っていてごめんなさい。ありのままの私を見てほしかったから」
真美子は申し訳無さそうに答える。
企業特別競走国際法によって認められている武装ハッカーは、企業に雇われてライバル企業に攻撃したりハッキングする。相手が同業者に限れば、殺人すら合法とされる特別な存在だ。
「何がありのままよ。ありもしない記憶で私と誠の思い出を上書きしたくせに」
今にも銃を撃ちそうな剣幕でトゥルースが非難する。
「俺とトゥルースとの思い出?」
不意に俺は頭痛を感じる。
記憶が蘇る。それはトゥルースとの思い出だ。
桜の樹の下で春の訪れをともに喜んだ。鮮やかに色づいた秋の山をともに歩いた。彼女とともに月日を積み重ねた。
「そうだ、俺とトゥルースは恋人だったんだ……」
「思い出してくれたのね」
トゥルースが嬉しそうに言う。
「騙されないで誠! その記憶は改ざんされたものよ! 彼女こそがリライターよ!」
真美子が叫ぶ。
「どっちの記憶が本物なんだ……」
俺の中には真美子とトゥルースの思い出が同時に存在している。どちらも現実味があって、とても片方だけ偽物とは思えない。
「大丈夫、安心して。その女を倒して記憶改ざん技術を手に入れれば、記憶を修正できるわ」
「それはこっちの台詞よ!」
とうとう真美子とトゥルースが銃撃戦を始めた。
真美子が放った銃弾がトゥルースに命中するが、彼女は平然としていた。
「サイボーグ!?」
彼女は武装ハッカーだ。体を機械してもおかしくはない。
拳銃が通用しないとなると真美子はそれを迷わず投げ捨て、次の武器を構える。
紫電を纏うクナイだ。
「電磁クナイ! 忍者!?」
真美子は忍者だった!?
忍者は掟により電脳化を忌避しているのでハッキング能力では一歩劣るが、こと戦闘力においては最強格の武装ハッカーだ。
「誠、逃げて! 忍者が相手じゃあなたを守りながら戦えない!」
「わ、わかった」
俺は近くにあった自分の車に乗り込み、エンジンをかける。
「まって、誠!」
真美子が追いかけてくるが、それをトゥルースが妨害する。
俺は無我夢中で車を走らせた。真美子とトゥルース、二人から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
まだ二人を信用するべきではないと俺の内なる声が警告する。
俺の中にある2つの記憶、そのどちらが本物であるか確かめる必要がある。
俺はトゥルースとの思い出にある小料理店へと向かった。看板メニューが彼女の大好物で、デートの時はいつも利用していた。
「すまない。ちょっと変なことを聞くんだが、俺はここで誰かと一緒に来ていただろうか」
小料理店の店主は電脳化していない。俺を騙すために関係者の記憶も改ざんしても、店主に対しては不可能なので真実のみを口にする。
「ええ、来ていましたよ。金髪の美人さんでしょう。いったいなんでそんなことを?」
「ああいや。ちょっとな。忘れてくれ」
次に向かったのは真美子との思い出の場所だ。和菓子を専門に取り扱う喫茶店で、俺は甘いものが苦手で、いつも苦い抹茶だけを飲んでいた。
「俺は誰かと一緒に来ていただろうか?」
俺は同じ質問を繰り返す。ここの店主も非電脳化しているので、記憶改ざんはない。
「誰か? 男が甘党だと恥ずかしいからと言って、来亜さんはいつも一人でこっそり来ていたじゃありませんか」
「……そうか、そうだったんだな」
これではっきりした。真実はトゥルースの方だ。
外に止めていた車に戻ると、トゥルースがいた。
激しい戦いがあったのか彼女の体はボロボロだ。左腕は肘から先が切断されて、バチバチと火花をちらしている。サイボーグでなかったらとっくに死んでいただろう。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとかね。セーフハウスに戻って直さないと行けないけど」
「送るよ」
「いいの?
「恋人なんだから当然だ」
「信じてくれるのね」
「もちろんだ。どちらが真実か、俺は自分でちゃんと確かめた」
それから俺はトゥルースを助手席に乗せて彼女のセーフハウスへと向かった。
そこは武装ハッカーとしての彼女の隠れ家で、ハッキング用のコンピューターやサイボーグ整備用の設備などが揃っている。
戦いで破損したた場合に備え、トゥルースは予備の体をいくつか持っているらしく、あっという間に元通りの姿に戻った。
「さて、落ち着いたところで、次は真美子……いえリライターをどうにかするか考えましょう」
「ああ、そうだな……」
だがどうにも俺は気が乗らなかった。真美子がリライターだと証明されたというのに、俺は未だに改ざんされた記憶を引きずっていた。記憶にある彼女の笑顔が偽物だとは思いたくなかった。
一方で、真美子を倒さなければ自分に未来はないと分かっていた。
俺を利用するのにどんなメリットがあるか分からないが、用が済んだら口封じに殺されるのは明白だ。彼女は忍者だその手のことは朝飯前だろう。
そうだ、殺せ。トゥルースと手を取り合って殺すんだ。内なる声がそうささやくが……ダメだな。俺は自分が思っている以上に優柔不断で情けない男だったようだ。
殺せ! 殺せ! 真美子を殺せ! 理性を司る内なる声が何度も叫ぶ。
……そうだよな。腹をくくるしか無い。
「トゥルース、俺が囮になって真美子をおびき寄せる。そこを君が不意打ちで殺すのはどうだろうか?」
「危険すぎるわ」
「俺を利用したいならすぐには殺されないさ」
「そうだとしても、彼女を殺したら偽の記憶を消す手段がなくなるわよ」
「偽の記憶は消せなくても構わない。欲を出して負けるよりは良いさ。それで、作戦なんだが紙とペンはあるか?」
「ちょっとまってね」
トゥルースは机の引き出しからコピー紙とボールペンを持ってくる。
俺は紙にかんたんな見取り図を書く。
「ここは真美子との記憶にある公園だ。俺はここで彼女を待つ。その後は頼む」
「分かった」
トゥルースは机の引き出しから拳銃を一丁取り出す。
「念の為、持っておいて。使い方は大丈夫?」
「ああ。会社で銃器研修は受けている」
銃を受け取った俺はトゥルースのセーフハウスを出て公園へと向かった。
真美子と二人きりになりたいとき、いつも決まってここのベンチで寄り添うように座っていた。
公園に到着してから一時間もしないうちに真美子が現れる。
「見つけたわよ誠」
「逃げ出したりしてすまない。あれからどっちの記憶が本物か確かめていたんだ」
「ここにいるということは、私の方を信じてくれたってこと?」
「ああ、そうだ」
「ありが……」
突如、真美子が仰向けに倒れる。トゥルースが狙撃したんだ。
●
俺は真美子の死体を見る。心臓を一撃。素人目に見ても死んでいるのは明らかだ。
「思ったよりあっけなく終わったわね」
狙撃銃を持ったトゥルースが合流した。
「いくら忍者とはいえ、認識外からの狙撃は防ぎようがないさ」
「それもそうね。あと、記憶改ざん技術の手がかりがないか調べてみるわ。可能性があるなら探さないと」
そういってトゥルースは俺に背を向けて真美子の死体を調べ始める。
俺はと言うと、トゥルースから借りた拳銃の弾丸を確認する。サイボーグ相手でも十分に通用する高速徹甲弾がこめられていた。
馬鹿な女だ。わざわざこんなに威力の高い武器を俺に持たせるなんて。
後はトゥルースを始末すれば俺の目的は果たされる。
俺はトゥルースの後頭部に照準を合わせる。
やれやれ、とんでもない面倒事になったもんだ。まさか自分自身の記憶を改ざんするとは。
そう、リライターは真美子でもトゥルースでもない。俺こそがリライターだ。
最初は単に二股をかけているだけのつもりだったんだ。
付き合っていた二人の女が実は世界最強の武装ハッカーだったってのがケチのつき始めだった。
二股がバレたら確実に二人から殺される。記憶改ざん技術とハッキングに自信のある俺だが、こと戦闘においては素人だ。
だから俺は二人を始末することにし、それには一工夫必要だった。
まず俺は真美子に関わるあらゆる情報を削除した。奴が存在しない人間と錯覚させるためだ。
記憶改ざん技術を応用して、自分の人格をコピーした。
次にコピー人格からは自分がリライターであることと、トゥルースに関する記憶を消す。
あたかも來亜誠は、『真美子の恋人である』という偽の記憶を植え付けられた哀れな男のように見えるって寸法だ。
そして全ての記憶を保持するオリジナル人格、つまりはリライターたる俺は電脳内のブラックボックスに潜み、何も知らないコピー人格を陰から操った。
突然トゥルースを思い出したのは、俺が一部の記憶を復活させたからだ。
思い出の場所へ向かって真実を確かめたのだって俺の狙い。
喫茶店で真美子の事を尋ねた時、実際には店主は『誠は真美子と一緒に来店していた』と証言していたが、俺はコピー人格の記憶をその場で書き換えて、店主が真逆の証言をしていたと思い込ませた。
こうして真美子はリライターであると思わせ、コピー人格とトゥルースが協力して彼女を殺すように仕向けた。
真美子を殺した次はトゥルースだ。俺はコピー人格を消去し、オリジナル人格である俺が肉体の支配権を取り戻した。
実にところいしくじるかヒヤヒヤしていた。コピー人格を好き勝手に操ると流石にオリジナル人格の存在に気がつくから、内なる声を装ってしか操れないし、記憶改ざんだって必要最低限に留める必要があった。
こうして全部うまく行ってほっとしている。
じゃあな真美子、そしてトゥルース。次はお前たちとちがって楽な女と付き合うよ。
俺が引き金を引くと、銃口から弾丸が放たれる。
直後、突風が吹いた。
「え?」
俺は信じられない光景を目にした。
俺とトゥルースの間に、死んだはずの真美子が立っていた。
「やっと正体を表したわね」
真美子が握っていた手を開くと、俺が撃った弾丸がこぼれ落ちる。
「な、なんで……」
弾丸を素手で掴むのそうだが、どうても死んでいたのになぜ生きている。
「私は忍者よ。あの程度の死んだふり、できて当然じゃない」
突然の出来事で俺は言葉を失う。
「やっぱり”彼”が言ったとおりね」
トゥルースが真美子に並び立つ。二人はいつのまにか手を組んでいたっていうのか!?
「彼? お前たち以外にも誰かいるってのか」
「あなたが作ったコピー人格の誠よ」
トゥルースが俺を指差す。
「お取り作戦を説明する時、誠は自分の視界はいらないよう、メッセージを紙に書いていたの。『誰かが自分を操ってトゥルースと真美子を殺そうとしている』ってね」
ブラックボックス内に潜んだ俺は、コピー人格の視覚と聴覚しか知覚できない。やつが自分の視界の外でしたことは俺にはわからない。
「後は誠にも気づかれないよう、電脳をハックした。そしたらあからさまに怪しいブラックボックスがあるじゃないの」
「それから私はトゥルースの接触を受けて、彼女と協力してブラックボックス内にいるあなたをあぶり出すことにしたの」
この囮作戦でおびき寄せる相手は真美子でなく俺だったということか。
「まったく、なんだか怪しいと思っていたらまさか本当に二股をかけていたなんて」
「万死に値するわ」
「畜生!」
俺は一目散に逃げ出す。だが、サイボーグと忍者の女達は一瞬で俺を取り押さえてしまった。
「ま、まて! いくら武装ハッカーでも丸腰相手の殺人は違法だぞ!」
「そうよ。だからこれを使う」
トゥルースが取り出したのは電脳に接続できる記憶媒体だった。
「あなたの電脳をハックした時、コピー人格の誠のバックアップを取っておいたの。これで人格を上書きする。その程度は私でもできる。命を取るわけじゃないから完全な合法行為よ」
「やめろー! やめろー!」
トゥルースは一切躊躇することなく記憶媒体を俺の電脳に接続した。
●
気がついた頃にはすべてが終わっていた。
「リライターは人格の上書きで完全に消滅したわ。これからはあなたの人生を送りなさい」
「ああ、ありがとう、トゥルース」
笑顔でお礼を言うと、なぜか彼女は眉間にシワを寄せた。
「……ごめんね、やっぱり二股かけられてた怒りが収まらないわ」
「私もよ」
トゥルースが俺の左頬をひっぱたく!
「ぐわーっ!」
真美子が俺の右頬をひっぱたく!
「ぐわーっ!」
手加減されたとはいえ俺の顔はおたふく風邪のように膨らんだ。
「うん、これでスッキリしたわ。あ、これ私の連絡先ね。仕事があったら報酬次第で受けるわよ」
「私も連絡先を渡しておくわ。企業間闘争に忍者の力は必要でしょう?」
トゥルースと真美子はそれぞれの名刺を俺に渡して立ち去っていった。
顔は未だにヒリヒリとしているが、これは俺という存在が一人の人間として人生を始める上で必要な痛みだと受け入れる。
そう思わなければ、理不尽な痛みに耐えられそうになかった。
さて、これからどうしようか。二股をかけていたリライターとしての来亜誠はいない。
とりあえず名前のとおりに誠実な男として生きるとしようか。