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暗黒末法都市ネオサイタマ⑤
◆第5節 ニンジャ湛えし虚樹 前編
アビゲイルは落ち込んでいた。
少し前のカエサルとの戦いを思い返す。彼女は超常の力をその体に宿して入るが、戦いの訓練を十分に受けたわけではない。カエサルの繰り出す古代ローマカラテを攻略することはできず、結局は先にカリギュラを倒した武蔵の助けを借りてカエサルを倒した。
ヴラド・ニンジャに不覚を取って今度こそはと思ったが、何も変わらなかった。
「ごめんなさい。私、全然役に立てなかった」
アビゲイルの謝罪に立香は母親のような慈しみある笑みを浮かべながら彼女の頭を撫でる。
「そんなことないよ。だってアビゲイルがすぐに負けてしまったら、カエサルが加勢してネロと武蔵はピンチになっていたと思う」
「でも……」
「それに、もし戦いに勝てなかったのなら、それはあなただけの責任ではないわ。指示を出す私にも責任はある。だからこの話はここでおしまい」
立香の言葉でわずかに気持ちが軽くなるアビゲイルだが、それでも自らの不甲斐なさからくる恥ずかしさは払拭できなかった。
「マスターよ! 余がこの建物の見取り図を見つけてきたぞ!」
ネロのよく通る声が響く。アビゲイルは意識をひとまず切り替える。今はまず、ビル内のどこに次元マンゴー聖杯があるのかを調べないといけない。
「ありがとう、ネロ」
「礼には及ばぬ。この程度、余には造作にもないことだからな」
そう言いつつも、ネロはマスターからの感謝の言葉に相当嬉しそうだった。
ネロが見つけてきたのは各階にどのような施設が存在しているか記されたものだ。床の上で開いた見取り図の上にペンデュラムを置くと、マンゴー色の宝石は中層部にあるレストラン階層を指し示した。
一行はエレベーターではなく階段を使って目的階へ向かう。わざわざそのルートで行くのは、エレベーターという密室での襲撃を避けるためだ。
中層部とはいえ目的の階はかなり高い位置にある。サーヴァントたちにとっては特に苦痛でもないが、普通の人間には少々辛いものがある。
立香はこれまでの冒険で足腰が鍛えられているものの、これだけの階段をのぼるのは一苦労だ。
一番つらそうなのはネオサイタマのサラリマンだ。さすがに普通のサラリマンには相当きついのだろう。
「ハーッ! ハーッ!」
「おじさま、大丈夫ですか」
アビゲイルはネオサイタマのサラリマンを案じる。
「え、ええ。大丈夫です。どうも階段を登るごとに、胸が締め付けられるような痛みを感じてしまって」
「少し、休みます?」
立香の提案にネオサイタマのサラリマンは「いえ、お気遣いなく」と奥ゆかしく断った。
「でも、苦しそうですし。一度、呼吸を整えたほうが良いと思いますよ」
立香は本気でネオサイタマのサラリマンについて案じている。見ず知らずの人にもそう振る舞えるのは藤丸立香という人の素晴らしい美徳だとアビゲイルは思った。
「そうですね……」
ネオサイタマのサラリマンはゆっくりと呼吸をする。
「スゥー……ハァー……スゥー……ハァー……」
たかが深呼吸といえども、やって見るだけ効果はあるようだ。ネオサイタマのサラリマンの顔色は先程よりもいくらかは良くなっている。
「お騒がせしました。先を急ぎましょう」
それからしばらくして、目的階にたどり着いた。
それほど高級な店はないとはいえ、多くの人々が食事を楽しんだであろう場所は無残に破壊されていた。
壁にはカタナで切ったかと思われる大きなキズ。床には強い衝撃を受けたと思しきクモの巣状の亀裂が走っている。
そして何より……おおナムアミダブツ。読者の皆様はここらから先は気を強く保ってほしい。壁や床、天井のあちこちにスリケンが刺さっているのだ!
スリケン! すなわちここで大規模なニンジャ同士のイクサが行われた証拠にほかならない! 気の弱い者ならばこれを見ただけで急性ニンジャ・リアリティ・ショックを引き起こしてしまうだろう!
「「「ザッケンナコラー!」」」
凄惨なニンジャのイクサが行われた場所に全く同じ3つの声が響き渡る。
全員がその方向を見ると、ジェットパックを背負ったクローンヤクザが3人!
「「「スッゾコラー!」」」
クローンヤクザたちはジェットパックを点火。ロケットヤクザとなって襲いかかる!
「イヤーッ!」
対応したのはアビゲイルであった。彼女は即座に天井から発光触手を射出してロケットヤクザを攻撃する。
「「「グワーッ!」」」」
ロケットヤクザは絶命と同時に大爆発を引き起こす。体内にプラシチックバクチクが仕込まれていたのだ。
しかし、爆発の殺傷力がおよぶ手前で対処されたので立香やネオサイタマのサラリマンに怪我はない。
ほっとするアビゲイルであったが、天井から不吉な音が響いてきた。
「いけない! みんな離れて!」
武蔵が叫んだ直後に、天井が崩れて瓦礫が降り注ぐ。
全員がとっさに避けたのをアビゲイルは見ていたが、しかし天井が崩れたことにより分断されてしまった。
「はやくみんなのもとに戻らないと」
瓦礫を撤去するにはあまりに時間がかかりすぎる。どこか迂回して合流するべきだろう。
アビゲイルが歩きだそうとしたとき、懐のペンデュラムが激しく震えるのを感じた。これは次元マンゴーの力がすぐ近くにあるのを告げているとアビゲイルはザ・ヴァーティゴから教わっていた。
いつのまにかマンゴー色の塊があった。
アビゲイルは即座にカラテを構える。
「あれは、もしかして聖杯の泥?」
アビゲイルはカーターから教わった聖杯に関する知識を思い返す。ときに聖杯は、呪いの泥を吐き出すこともあるという。
「ペンデュラムが反応していたのは聖杯本体じゃなくてあれだったのね」
この階の反応は罠だった。敵はペンデュラムを惑わしてアビゲイルたちをこの階におびき寄せようとしていたのだ。
「なんてこと」
罠にはまってしまったことをアビゲイルは深く後悔する。
マンゴー色の泥がぐねぐねと動き出し、人の形へとなっていく。
最終的にマンゴー色の泥は黒玉色のニンジャ装束に身を包むニンジャへと変容した。
新しいニンジャ英霊かと思ったが、しかしアビゲイルはそのニンジャからサーヴァントとしての気配は全く感じ取れなくなった。
「聖杯がサーヴァントではなくニンジャを召喚した?」
おお、ナムアミダブツ。次元融合が進んだことで、次元マンゴー聖杯はニンジャ次元のニンジャをサーヴァントのように召喚できるようになってしまったのだ。
「ドーモ、はじめまして。ドミナントです」
なんと丁寧なアイサツ! それを見れば彼が油断ならぬカラテを秘めているとわかる。
「ドーモ、ドミナント=サン。アビゲイル・ウィリアムズです」
アビゲイルもアイサツを繰り出す。
敵は慎重さを重んじるようだ。アイサツして即座に攻撃をせず、武器を構えて様子を伺うようだ。
ドミナントの両手にはそれぞれエメイシと呼ばれる棒状の暗殺用武器が握られていた。しょせんは暗殺用、正面からのイクサには不向き、と考えてしまうのはサンシタだ。
ドミナントの目が青く光る。それに合わせてエメイシにも同じ輝きが宿った。エンハンスメント・ジツで殺傷力を高めているのは明白。
敵が発するカラテに気おされ、アビゲイルは果たして勝てるのだろうかと不安になる。ヴラド三世やローマ支配者たちとの戦いと違い、助けてくれるものは誰もいない。
その不安が、相手に先手を与えてしまった。
「イヤーッ!」
ドミナントがエメイシを投擲!
「イヤーッ!」
アビゲイルは発光触手で防御を試みるが、エメイシは触手を貫通! そのままアビゲイルに襲いかかった!
「ンアーッ!」
肩を浅くえぐられたアビゲイルは苦痛の声を上げる。
ドミナントはエンハンスメント・ジツによるネンリキで投擲したエメイシを回収し、再投擲の姿勢に入る!
「…く! イヤーッ!」
アビゲイルは再投擲される前に攻撃した。床と天井、そして左右の壁。全方位から出現した発光触手がドミナントを貫こうとする!
「イヤーッ!」
だがしかし! ドミナントはニンジャ観察力とニンジャ動体視力で発光触手全方位攻撃の安全地帯を見抜き、精密機械めいた体捌きで回避した!
「そんな!」
必殺とはいかないまでも、一撃程度は与えられると思っていたアビゲイルは驚愕する。
「イヤーッ!」
ドミナントは発光触手の間を縫うように駆け抜け、アビゲイルとの間合いをワンインチまで詰める!
「しまっ……!」
アビゲイルは全方位攻撃で同時出現可能な触手をすべて出し切っている。あとは自分自身の肉体を持って攻撃する他ない。
アビゲイルは右手でチョップを繰り出す。
「イヤーッ!」
「イヤーッ!」
しかし、ドミナントはチョップを受ける前にアビゲイルの右手首を掴んだ。
アビゲイルは左手でチョップを繰り出す。
「イヤーッ!」
「イヤーッ!」
しかし、ドミナントはチョップを受ける前にアビゲイルの左手首を掴んだ。
「ああ!」
ウカツ! アビゲイルは両手首をドミナントに拘束されてしまった!
「イヤーッ!」
ドミナントはアビゲイルを捉えたまま回転跳躍! そこから繰り出されるのは暗黒カラテ奥義、ヘルホイール・クルマ!
「イヤーッ!」
KRAAAASH!
「ンアーッ!」
遠心力とカラテによってアビゲイルは激しく床に叩きつけられる。その力は凄まじく、床を粉砕して直下のフロアへ落下していった。