恋愛パンツ論
サッカー観戦の後、20年来の友人と酒を酌み交わしたのだが、まさかこの歳で恋愛話に花を咲かせるとは思わなかった。
とは言っても「○○ちゃんが好き!きゅんきゅん💛」と言うものではなく、顔の好みがどーだとか、性格がどーだとかはこの際どーでも良く、
定年後や老後のことなどを考えた時、独り身は辛いのではないか…
支え合いのパートナーが必要なのではないか…
という”将来に対するぼんやりとした不安”から来る恋愛話だった。
結婚できるならした方がいいだろうね。という「そりゃそうだ~」の結論で会話は終わった。
今週の写真:実家(調布)は水木しげる先生の仕事場があり、街は鬼太郎であふれている。11月30日は先生の命日、ゲゲゲ忌である。
大学生のとき、自分の「恋愛観」について熱く語り合ったことがあった。
二十歳そこそこの恋愛経験なんて、うっっっっすいものなのに、賢しらぶって「いいかい。恋愛というのはだね…」と持論を展開した。
今となっては赤面ものだが、やはりそこは多感な時期。たとえ、うっっっっすい恋愛経験しかなくても「愛」だの「恋」だのについて語りたい年ごろだったのである。
印象に残っているのは、ヤナギハラ君の語った「恋愛パンツ論」である。細かなことは忘れたが、大体以下の通り。
ちなみにこの場合のパンツは女性の下着のことである。
パンツは、その人の大事な部分を守っている。
パンツは、その人にとっての最後の砦である。
パンツは、決して人さまに見せるものではない。
その人のパンツであるならば汚れてしまってもかまわない。
(でもときどき、洗ってもらいたい。)
愛するのならばパンツほど密着することも厭わない。
パンツは安心をもたらすものである。(はいてないと不安になる)
ゆえに、
私は好きな人にとってのパンツのような存在でありたい。
好きな人にとってのお気に入りのパンツでありたい。
すなわち恋愛とはパンツになることである。
ヤナギハラ氏
どうだろう。この「恋愛パンツ論」。
読者諸兄は納得していただけただろうか?
当時の僕はすごく納得がいったのである。
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