20240121 ふかいメルマガ136回 14年前のミライ
ウェーブの技術が月面へ!
おはようございます!
1月20日に世界初となる月面「ピンポイント着陸」に成功した
日本の月面着陸探査機「SLIM」。
その「SLIM」から分離された変形型月面ロボット「LEV-1」「LEV-2」が、
月面で「SLIM」を撮影し地球への送信に成功したことを、
1月25日にJAXAが発表したのですが、
この「LEV-1」の開発に組込み事業部のエンジニアが関わっています。
月面への着陸を成功させた国は、
これまで旧ソビエト、アメリカ、中国、インドの4か国でした。
今回の成功で日本は5か国目になります。
今後の宇宙開発において、
月は重要な中継基地になると見込まれているため、
月面着陸の成功は、月面開発の主導的な立場を得る最低条件だと考えられています。
そういう意味でも、日本にとって月面着陸は悲願でした。
ウェーブとして、日本の宇宙開発に少しでも貢献できていることが、
うれしいですし、誇りに思います。ありがとうございます。
1月25日の、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)、株式会社タカラトミー、ソニーグループ株式会社、同志社大学によるプレスリリースを貼っておきます。
https://www.jaxa.jp/press/2024/01/20240125-4_j.html
128周年と14周年
さて、先週22日はYRK&の128周年記念式典と社員が全社員に向けて、
自分たちが考えた新事業をプレゼンする「ミライ会議」が
YRK&大阪本社と東京をオンラインで結んで開催されました。
ミライ会議は、4人と2チーム合計6の事業がプレゼンテーションされ、
全社員によってその場でネット投票が行われました。
その後経営幹部によって選考会があり、
3つの新事業案が2次選考に進みました。
先週は、グループ会社でもう1社、
周年イベントを開催した会社がありました。
株式会社SoooooS.カンパニーです。
SoooooS.カンパニーという会社は、
地球と人にやさしいソーシャルプロダクツを扱う
ECモール事業が中心の会社です。
14周年だから2010年に立ち上がったということです。
東日本大震災の前の年、リーマンショック直後です。
SDGsの採択は2015年。
サステナブルという言葉がほとんど知られていない時代です。
SoooooS.という社名。
最初のSはSmile、最後のSはSustainable。
間の5つのoは、貧困・教育・医療など5つの社会問題を表わしています。みんなの笑顔にはじまり、消費で社会問題を解決することが、
サステナブルな社会へつながるという意味で、
決して誰かが無理をしたり、我慢をするのではなく、
笑顔ではじめないと続かないという思いが込められています。
26日金曜日に、
「SoooooS.14周年トークイベントSmile to Sustainable」がありました。
このイベントは周年を祝うイベントというよりは、
SoooooS.に出店してくださっている会社・団体・店への感謝と、
新たな事業転換をお伝えする場でした。
SoooooS.の創業
SoooooS.は、まだミライ会議なんてなかった時代の
YRK&(当時はヤラカス舘)の社内ベンチャーとして誕生しました。
2008年から2009年にかけて、世界をリーマンショックが襲います。
YRK&は東京支社が大きくダメージを受けました。
大阪本社はそれほど影響を受けていないのに、
東京支社が足を引っ張るカタチになってしまい、
東京支社長の私は、悩んでもがいて空回りをしている状態でした。
そんな2009年に、キャリア採用で入社した中間大維(だいすけ)が、
「深井さん、このままだったらこの会社潰れますよ。
若手社員何人かと新しい事業を考えて会社に提案したいのですが
いいですか?」と言ってきました。
私は正直なところ、そんな簡単に新しい事業なんて考えられるわけがないと思う一方で、会社の不満分子の集まりにならないようにと、今考えると若手にはけっこう厳しい条件を出しました。
それは「業務時間外でやること」「休日や夜遅くなる場合は会社でやらないこと」「定期的に報告すること」というものです。
中間を含めた5人のメンバーは数カ月かけて、
2つの事業案の計画書をまとめあげてきました。
私は、内容もさることながら、その本気度に圧倒され、
当時の社長(現会長)への直接提案の場をつくり、
2つの事業案の1つ、今のSoooooS.に決まりました。
それから14年です。
そして最初の若手メンバーに入っていたのが、
現SoooooS.カンパニー代表取締役社長の木村有香です。
SoooooS.を立ち上げた翌年に東日本大震災が起こり、
被災地の復興商品がメディアに取り上げられ
ちょっとしたブームになります。
Yahoo!が復興デパートを立ち上げたりする中、
震災前からの老舗としてSoooooS.はメディアに注目されました。
しかし中間は、復興商品の多くに、
機能・使いやすさ・品質といった商品性が担保されていないこと、
また購入する消費者も、欲しいから買うのではなく、
助けたい応援したいという寄付感覚だということに、
「これでは市場ならない」「一過性で終わる」と危機感を持ちます。
それはすぐに現実になります。
そこで震災の翌年2012年に一般社団法人ソーシャルプロダクツ普及推進協会(APSP)を中間の発案でYRK&が中心となって設立し、市場づくりを始めるのですが、その中間大維は2018年10月に病気で急逝します。43歳でした。
遺志を継ぐ
あまりに突然の出来事だったので、
彼がYRK&に残したSoooooS.カンパニーとAPSPをどうするか。
YRK&経営陣としても一瞬だけ悩みましたが、答えは明らかでした。
「続ける」という選択です。
それは当時の経営陣にも、これからのビジネスは自社の業績だけではなく、間違いなく社会性が必要になるという確信があったのですが、それ以上に中間大維を応援する多くの企業や団体、そして様々な業界・立場の人たちのためにも、彼の遺志をここで打ち切るわけにはいきませんでした。
中間の上司だった私が、APSPの事務局長に就いたのは2019年の1月です。サステナブルという言葉もSDGsもほとんど理解していない私が、です。
そして憔悴しきっていた奥さま玖幸(くみ)さんを、「大維さんの遺志を継いでいこう」と、時間をかけて説得し、APSP専務理事に就いてもらいました。専務理事と事務局長は、中間が一人でこなしていたポストです。
新しいスタート
中間が代表だったSoooooS.カンパニーも融資先との調整や、何よりも社員が3人いたので、社長不在の不安感をなんとかしようと「とりあえず」私がSoooooS.カンパニーの社長に就任しました。
結局、その後3人のうち2人は退社しますが、一人は今もSoooooS.で活躍してくれています。彼女は2人の母です。
中間急逝の混乱から一段落したところで、当時YRK&のマーケティングプランナ―だった木村有香さんに、代表取締役を交代し今に至ります。
木村さんは新たな仲間を3人増やし(1人は産休中)、中間が手掛けた自社ブランドを拡大し、新たに法人ギフト需要へもアプローチし、売上を大きく伸ばしています。
法人向けギフトと言えば、ウェーブの40周年を記念してみなさんにお渡しした「SIOME」も、SoooooS.が選んでくれたソーシャルプロダクツでした。
今回のイベントで、木村さんは代表としてこの14年を振り返り、感謝の思いを述べながら、同時に14年続けてきたSoooooS事業について、また今後の事業展開について発表しました。
そして今後は、以下の4つの事業に力を入れていきたいと、
力強く表明しました。それは
1 自社のブランド「Smile&」の拡充
2 法人向け事業
3 一次産業支援(新潟県長岡市の米づくりプロジェクトへの参画)
4 新しいものづくり(鹿革の商品開発・ブランド開発)
ちなみに木村さんは、農水省のジビエ利活用コーディネーターでもあるので、いのめーるや田んぼの情報交換をしています。
木村さんは代表として最後に、
「これからも『毎日のお買いもので世界を変える』というSoooooS.の理念はこれからも変わりません」と締めくくりました。
その後のイベントは、
J-WAVEやテレ東WBSなどにも出演されているエシカルディレクター坂口真生さんをはじめ、ソーシャルプロダクツ・アワード上位賞の方々とのトークセッションがあり、とても興味深く共感の場となりました。
この後懇親会があったのですが、私はウェーブのシステム開発事業部の部会があるので、本社に戻りました。
というわけで、今週はミライ会議にはじまり、
14年前のミライを感慨深く振り返った1週間でした。
次は、WAVEのミライです。
深井賢一
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