太古からの約束
なんだかありきたりな発案で、恥ずかしいきがするし。だからこそ、、正解な気もするし^ ^しかし、安易には片付けたくなくて、この想いは、いままで、つぶやかなかったが。私が、樹や水紋や雲やケムリの形が好きなのは、、子宮の中の記憶によるのかな、と。お母さんのお腹の中の、幸せな?記憶^ ^血管や血液、体液、エネルギーを、いやおうなく、深く愛され(どんな子も生まれた以上は。母自身がどう思おうとも。神様のような生命根源からの愛。そして、多くの場合は、親や先祖からの愛も。もしくは、強制的ながらもギフトされ)、受け取り、生命としての、よろこびみちる場所。。。?。。。そして。卵や胎内。ふわふわ、わくわく、どきんどきん、とくんとくん。。。
そうだ。言わずもがな、私の愛する音たちも^ ^
数年間、時折、そんなふうに想って来た。(もちろん、雲の流れに見惚れたり、音に酔っている時、そんな事は、ほとんど考えない^ ^ただただ、圧倒されたり、うわーっと、よろこんだり、、、言葉には出来ない、それ、が、ある、、いつもいつもじゃあないけど^ ^)
さらに。時々、うたかたの、一つ一つが、いのち、にみえる事がある。これは違うようで、同じ話かもなぁ。しかし、もっと俯瞰的な何かかも。コレについては、いつかまた^ ^
まぁ、というわけで。津田の松原に見惚れながら、600年前に植えられた松の巨木を探しつつ(七福神の名がつけられて、7本あるらしい)、それより若い松の方々いずれも素敵で。そんな事を少しおもいながら。南北も分からなくて。歩き回るのが、どうでもよくなり。楽器とたわむれようか、テキストとたわむれようか、と、ありがたい椅子の上、たたずむ午前5時。周りには民家なく、さらにありがたいかも^ ^虫の声が綺麗^ ^時折聴こえる、トラックの走行音などが、ノイズミュージっくの様だ^ ^
この松達がなければ、
#すまはまフェスティバル @sunahamafestival も無かったのかもな^ ^感謝
あ。でも、主催さんたちは、どこにいても、熱く、素敵な祭をやってくれているだろうな^ ^
パフォーマーさんたちは、パフォーマンス?して^ ^奏で。
つむぎ^ ^
人は、いたわりあったり。かたらったり。
生き物は、食べたり、食べられたりしながら。。。
私は、踊り、はしゃいでいるのだろう^ ^感謝
太古から^ ^
追記 上記テキストを書いたあと、松の大樹の前で^ ^またまた、とても素敵な人との出会いをいただくニッシーであった^ ^とてもとてもありがとうね^ ^今7:15。朝日が松や浜に^ ^とても美しい^ ^一期一会^ ^なんという贅沢か^ ^感謝
太古からの約束。。生命は、こんなに、ワクワクどきどきしながら、命をつむいできたはずさ
ありがとう
この松原や香川にも、居られて、あと1時間半くらいかな(ちょっと未定、ご縁ございましたら、気軽に声かけてくださいね^ ^再会したいです)^ ^名残惜しいが、たくさんたくさんのご縁や学び、喜び、ありがとうございました
今7:52^ - ^