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小樽の旅 運河館編

わたしはこの冬休み(勝手にそう名付ける)
大阪〜金沢〜小樽という移動をすることになったのだけれど
なんだか行ったところが繋がった感覚があって
テーマは『北前船』だったのだと思った

ちなみにこのテーマに気づかせてくれた運河館

運河館(小樽市総合博物館)



運河館というのは小樽市総合博物館のひとつなんだけど
小樽運河クルーズに乗船した時にガイドさんが小樽を知る
足がかりになるとすすめていたのできてみた

明治26(1893)年 旧小樽倉庫の一部を利用し開館された博物館
この建物は木骨石造といって木の骨組みに軟石(レンガではないんだね)
を張り巡らせた倉庫建築独特の様式となり
木と石を鎹(かすがい)でつないでつくられていた
子はかすがいっていうけど、こっからくるのかな それはさておき

夏は涼しく冬は暖かいという特性から物資を保管する倉庫に適していて
防火性や防寒性、耐久性、工期の短さなどの特徴がある
とはいえ当時は火災が多く 縁起を担いで水を口から吐いて
火災から倉庫を守るよう鯱鉾(シャチホコ)が八匹屋根に配置されたとか

落雪注意


小樽について

江戸後期から明治、大正、昭和の初期にかけて、小樽は小林多喜二が
小樽は北海道の心臓のような街である』とかいたように非常に栄えており、
地銀だけでなくメガバンクも小樽に支店を出し、最盛期には25行もの銀行が
軒を連ね北日本随一の金融都市であったそうだ
(参照:グランドパークオタル 小樽ってこんなところ⑤小樽の歴史より)

運河館入り口のポスター

北前船(きたまえぶね)

北前船とは、江戸時代中期から明治30年代にかけて活躍した
貨物を運ぶというよりは商品を売買しながら
大阪〜敦賀〜小樽を瀬戸内海、日本海を航行していた帆船

運河館にて撮影(北前船、帆船の模型)


帆船は50日〜60日かけて移動するが、穀物、調味料、海産物等を寄港地で
安いところでは買い(仕入れ)、高いところでは売る(販売)というように、
『買積船』といって商品が船を出入りしながら運ばれていた
瀬戸内では塩、大阪では酒や砂糖を買い、北海道で売る
北海道で海産物を買い、大阪で売る

こういった点が太平洋を渡る樽廻船、菱垣廻船といった単なる輸送船と異なり
また、商品だけでなく、歌などの芸能文化や昆布で出汁を取るといった食文化も
伝えたという

(参照:運河館、北前船日本遺産推進協議会事務局HP 動画栄光なる北前船)

運河館にて撮影(主要航路と物資の動き)

北前船主である加賀の人々

ちなみに敦賀が一番取り扱う物資の数が多い
また小樽の倉庫を手掛けたのは北陸の出身者が多く
なかでも日本遺産となった5つの倉庫はすべて
石川県加賀藩の人物によるものである

北前船主としてリーダー的存在として西谷庄八の名が挙げられる
小樽倉庫は西出孫左衛門が創設者として挙げられるが
倉庫の発案、建設、運営に実際に携わっていたのは西谷庄八であった
いずれも加賀藩の人々
(参照:市立小樽美術館 Ⅰ 特別展記念講演会  2023.10.21 開催 抄録 
北前船主・西谷家の人びと 高野 宏康より)

なぜ加賀藩なのだろう 
当初は近江商人についていってのが北陸の船頭たちだったらしいけれど
一攫千金を夢見て独立した加賀の人たちが大阪で売るニシンで一儲け
うん ちゃんと調べよう

運河館の中庭(人力車とかソリとかここで引けるみたい)

運河館には、北前船以外にも アイヌの話 
冬眠しているクマ(剥製のクマのお腹が動いてた)
海馬の骨(おっきくてびっくり)
昆虫(蝶や蜻蛉 それ以外も・・・)
動物(うちのおばあちゃん キタキツネが好きだった)など
とくに鳥の剥製が躍動的な自然史資料の展示がいい

青い鳥 イソヒヨドリ
きのこフィギュアの展示 かわいいね

また 縄文時代に遡り
認路土場遺跡(おしょろどばいいせき 縄文時代後期 約3500年前)の生活 
ストーンサークルのミニチュアとか多岐に渡る展示が楽しい

忍路環状列石のミニチュア展示

それにしてもアイヌ語ってかわいい 
『おしょろ』とか『るもい』とか
地名もひびきがかわいくて 
寝れない時 アイヌの子守唄きいたり
読んでいた小説『ミカエルの鼓動』も北海道が舞台だったり
最近逝去された中山美穂さんの映画ラブレターの舞台だったり
昔働いてた職場で知り合った子も北海道好きだったり
そういやおばあちゃんも北海道の出身だった

運河館の鯱鉾(シャチホコ)

寒い時に寒い場所にくると大変だけれど
この雪のしんしんと降りつもる感じとか
やっぱり冬にしかない景色がある

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