不条理は、ある日突然やってくる(ように見える)
「イニシェリン島の精霊」(原題:The Banshees of Inisherin)を見た。
イニシェリン島の精霊|サーチライト・ピクチャーズ公式 (searchlightpictures.jp)
"心に不満を溜め込んだ退屈な人間ばっかり!"
僕は妹のシボーンの立場で見ていたので、終始自分のことしか考えてない2人の男にイライラしていた。対人関係が下手くそで不器用で、相手への思いも自分の気持ちも何も伝えることができない。
同監督の「スリービルボード」の主人公は、不器用ながらも必死に自分の思いを他者に伝えようとしてた。
だけど、この島の2人(とくに主人公のパードリック)は伝える努力すらしていないように見える。
そこには「俺の気持ち、主義主張」しかない。
今まで頑張らなくても何となくわかってもらえる(ように見える)環境の中で生きてきたおごりのようなものを感じる。
小さいコミュニティでの居場所がないと感じたとき取る道は、馴染む努力をするか、自分の居場所を作り上げるか、そこから出ていくかしかない。
でもパードリックは変わろうともせず、変化についていけない事にイラつき、ただ島に、コルムに執着しているだけ。
絶交前に、2人がどれだけ仲が良かったかは描かない。
本当に”親友”だったの・・・?
もしかしたらはじめからパードリックの勘違いなのかも。
妹にガチで「寂しくない?」って聞かれる人だ。
コルムは今まで"付き合ってあげてた"だけなのかもしれない。
急に“ただのくだらない退屈なおしゃべり”を拒絶して“音楽のように残るもの”に執着するコルムも気になった。
ほとんどの人間はくだらない日常を延々繰り返し、とくに何も残せず死んでいく。
だから、くだらない退屈なおしゃべりを拒絶することは、ほぼ人生を拒絶するのと同じなのではないだろうか。
ただ、指を詰めてまで変えたいものはなんなのか。そして、指を詰めても何一つ変わらない絶望感。
対話のできない2人は自滅するしか道はない。
(それはドミニクと父親にも、コルムと神父の関係にも言える)
そこまで考えたところで、対岸で不気味に展開している内戦に思い至る。
お互い相手を「こういう奴だ」って決めつけて、それ以上は想像しない。
自分のポリシーや言い分や気持ちばかりで、相手のことまで思い至らない。
マリア像も懺悔も、申し訳ないけどなんの役にもたってはいない。
僕はとてもじゃないが、これを"ブラックコメディ"とか"シニカル"だなんて言葉では語れない。
対話不足の成れの果てに潰し合いボロボロになって、それでも現状を変えられない2人と対岸の諍いに、生きることのままならなさを痛いほど思い知らされた。
ギラつき感がなく、とくに何もしていないのにゾクゾクするほど嫌悪感を抱かせるコリン・ファレルの名演、そしてロバと犬に演技賞をあげたい。
画面に映る美しい風景と、赤や黄色のくっきりした美しさが救い。
自然の美しさの中で、人はあまりにもきれいじゃない。
はじめに戻るけど、僕はシボーンのように出て行くよこんな場所。
出航のシーンが一番スカッとした。
自分の居場所を開拓するシボーンに幸あれ。