友達が死んだ話


※長いよ!


つい数日前、僕にとっては特別な仲間が旅立った。

POLKADOT(ex くりキントン) のどか

こいつとは、僕がBaby smokerを結成した2004年からの付き合いで当時はまだお互い高校生だった。

地元寝屋川のライブハウス、寝屋川ビンテージや高槻ラズベリーで何かよく一緒になるバンドだった。

その当時、同い年でかっこいいバンドは少なくてラックライフやデイトリッパー、セルフポートレート(※今も活動しているバンドだけ挙げております)
そしてポルカドットは別の音楽性にも関わらず仲良くなるのに時間はかからなかった。

のどかとは初めて喋ったその日から訳分からんぐらい仲良くなったのを覚えている。

それから、何月を経てお互いにイベントに呼び合ったり暑苦しい話を一生してたり、酒もめちゃくちゃ飲んだ。

こののどかは中々酒癖も悪く、ややこしい奴だったのだけれど不思議と誰からも愛されていた。

僕はスリーピースバンドでカッコいいギターを弾く方法を教えろと言われ、のどかの実家でコードの使い方や小指の美味しい使い方を延々とレクチャーさせられたのを覚えている。

お互いに音楽性もしっかりと固まった頃からは、一緒にやる機会もどんどん減っていった。

どのくらいの規模の話をしてるのか思い出すと恥ずかしいけれど、お互いの畑で戦っててっぺんを取ったら対バンしようぜ的なやりとりをしてたと思う。笑

それから、僕らはTIGHT RECORDSに
Day tripperはナインスアポロ、ポルカドットはAFRICAN RECORDSへの所属が決まり、寝屋川でかつてない熱いシーンが出来上がるのを想像して、夢を膨らませてたのを今でも覚えている。

各々がきっと、幼少から共に育ち恥ずかしい事をしまくっていた事も何もかも知っている、まるで幼馴染のような感覚だったんじゃないかなと思う。

各々が頑張れば頑張る程環境が変わっていき、どんどん共演の機会は無くなっていった気がする。

そもそもその時期の僕らは、とにかく上を目指していて馴れ合いなんかしてたまるかって気持ちでいた為に進んで一緒にやろうとはしなかった。

いわゆる厨二病というやつだ

遅れてきた厨二病

遅咲きのルーキー

的な感じで尖っていた為、一緒にはやらない
でもお互い気にはなるもんだから、ちょくちょく皆で集まっては近況報告も兼ねてなんやかんや一緒にいてたと思う。

特に僕は大昔バイトも辞めてウダウダしていた時期もあり、その時同じくニートだったのどかや他数名と毎日のように集まっては、俺たちまだ大丈夫!的な傷の舐め合いをしたものだ。

バンドマンっていうのは寂しがり屋で、どうしようもない人種だから1人ぼっちじゃいられないんだと思う笑

まぁそんな時期もあったけれど、お互いにバンドには本当に真っ直ぐだった。

僕らがTIGHT RECORSから1stフルアルバムをリリースし、そのツアー初日の寝屋川ビンテージ

Baby smoker
HOTSQUALL
POLKADOT

の3マンだった。

ポルカドットと一緒にやるならここだ!と思ってオファーした。

もうそれはそれは久々の対バンで、良いライブとか悪いライブとかきっとあったけれど、そんな事は関係なく自分達のリリースツアーで一緒にやれているって事に感動してた。

それからはまた一緒にやる機会もあまり無く、また集まっては飲むって今までと変わらないスタイルになっていった。

そのツアーが終わり、僕はメンバー脱退なんかで打ちのめされた時期があったんだけれど、こんな凹んでる間にも、同い年のアイツらは前に進んでいってる…モタモタしてたら置いていかれる!って、ただ存在しているだけでケツを叩かれるような存在に皆はなってた。

そんな重要な存在だったポルカドットも、Baby smokerが活動休止して僕が横浜にいっている間に解散してしまった。

めちゃくちゃショックだった。

寝屋川で一緒に育った同い年のバンド達は特別だった。

いつでもSNSで活動を追っていた。

だから、とてもショックを受けたのを覚えている。

それから大阪に戻る事になって、のどかとはすぐに飯に行った。

まだお互いにバンドを出来ていない状態で、でもエネルギーは有り余ってるみたいな…

だったら一緒に何か面白い事をやろうって僕から誘った。

アコースティックで何かオモロい事やろうぜって2人でカラオケに行き、僕が描いた曲をその場で無理やり覚えさせてやってみたり

何か違うな?ってお互い思った笑

一緒にやるのは違うな!ってなって話は終わった笑

それからあいつとは弾き語りイベントやなんかでたまに顔を合わせたり、軽く飲んだりって感じだったのだけれど

いつからか原因不明の体調不良で苦しんでる事を知って、凄く身体の大きいのどかが、なんだか細めののどかになっていたりして心配だった。

きっと辛かったろうと思う。

会う度に、あの頃うちら最強やったよな!黄金時代やったな!と言っていたのどか。

いやいや、今でもカッコいいよってちゃんと言ってやれば良かったな。

つい先日、SABOTENの大一番の味園ユニバースで少し久しぶりにのどかに会って、またちょーっとだけ痩せたんや!がははは!って笑っていた。
僕らも復活した事やし、久しぶりに寝屋川ビンテージでイベントをやりたいなって思っていて、それなら寝屋川や京阪沿線に縁のあるバンドを呼びたいって事で、ポルカドット復活させんかい!とか言ってた。

その時は数分しか話していなくて、まさかその数日後に亡くなるなんて思わなかった。

のどかの元メンバーから知らせを聞いた時には意味がわからなくて、時が止まった。

僕の頭の中は

は?

これだけだった。

本当に意味が分からなくて、でも涙は勝手に出るしで

いや、あんなふざけた奴が死ぬ訳ないやろ!え、でも…そんな

みたいなパニック。

葬式で自分の目で確かめないと納得出来なかった。

そしたら通夜に向かう途中に、僕の身内が亡くなってすぐに家の方に戻らないといけない状態になってしまい、のどかに会ったのは2〜3分だったと思う。

家族のはからいで告別式には出られたけれど、あんなに泣いたのは父親を亡くして以来だった。

全国からのどかと仲の良いバンドマンが駆けつけて、それはそれは賑やかな葬式だった。

駆けつけた人達、来れなかった人達、沢山の人が僕も同じように、いやそれ以上に悲しんでいると思う。

のどかは最後までふざけていて、ロックな奴だったと思う。

ずっとバンドをやってれば良かったと思う。

色々書いてしまって、反感を買う部分もあるかもしれないけど、こうやって書き残しておきたい程、僕にとっては大切な仲間だった。

いつか、ポルカドットのカバーをやれたらいいなぁと思う。

僕らは今生きていて、やりたい事も沢山あって、まだまだ行きたい場所もあって
いつ死ぬとかは本当に分からないから、やりたい事やその時大切にしたい事や物や人
良い意味でわがままに生きていこうと思った。

だから僕はBaby smokerをおもいっきりやる。

明日4/1 21:00
     4/2 21:00
     4/3 21:00

3日間に渡って、僕らにとって大切な、そして皆にとっても大切になれば嬉しい発表があります。

TwitterやInstagramでの発表になるけれど、是非目を通したら反応して欲しい。
拡散して欲しい。
知らせて欲しい。

皆の力を貸して欲しい。

長々と有難う。
おやすみ!

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