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じいちゃんの左手 その57

学校から帰ってくると 
縁側には いつも 群青色の市場帽子を斜にかぶった じいちゃんがいた 
右手にワンカップ 左手には “わかば” 
田んぼの案山子のように 僕の問いに 何でも答えてくれた じいちゃん
今思えば ほとんど 的外れだったけど 心は いつもポッカポカ
そんなじいちゃんと あの縁側が 今もあったら・・・ 
きっとこんな 会話になっただろう・・・

『ワクチン』

「じいちゃん! 七夕まつり 行こうよ!」

・・・ あれっ?
いつもなら よっしゃ!と 一声かかるはずなのに
じいちゃん Zuzuzuzuzuと 鼻をすすってる

「風邪だったら 早く注射 打ってきなっ!」
代わりに 台所から ばあちゃんの声が届いた 

「えぇ・・・ じいちゃん 風邪ひいちゃったの・・・ 
 それじゃ 今年は七夕まつり 行けないね・・・」
しょんぼりする僕
そのとき 玄関から有線ニュースが流れた

『7月6日は ワクチンの日です フランスで狂犬病のワクチンが
 少年に接種された日にちなんで設定されました』
有線も じいちゃんと同じくらい 物知りだ
黒電話型の有線を眺めながら 僕は ふと思った 

そう言えば 何で注射のことを『ワクチン』っていうのかな・・・
ねぇ じいちゃん どうして・・・と尋ねようとしたとき

「ふぇ・・・ ふぇ・・・ ふぇ・・・」

親指の抑えが甘い 
リコーダーのような気の抜けた声を出し始めた じいちゃん 
次の瞬間!

『ヴァークスィーン!』 ※神の声 :英語版の ”はくしょん” です

おおきな くしゃみが 裏山に木霊した

僕には それが 『ワ・ク・チ・ン!』と聴こえた
もしかして・・・
くしゃみが 出たときの あの変な声が語源だと 
じいちゃん 身体で教えてくれたんだね!  ※神の声 :全く違います

そのとき ”お~ やっと取れた” と じいちゃん

「寝そべって 喰ってた落花生が
 鼻に回っちまって ずっと むずむずしてたんじゃ」

風邪なんて ひいてなかったみたい 急に張り切りだした じいちゃん

「それじゃ 熱中症対策に ワクチン 一本打っておこう!」
そう言うと じいちゃん ワンカップをぐいと空けた

そうだったの!
熱中症にならないように いつもお昼に一杯やってたんだね
健康志向の じいちゃん! さすがだね! 
※ 神の声 :お酒で熱中症は防げません!

新しい知識を得て ニコニコの僕の向こうで
牛舎の雄牛が Mooooooooooooooooooooooooo と 啼いた


「ワクチン」の語源はラテン語のvacca(雌牛)だそうです

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