【ショートショート】 映画と車が紡ぐ世界 chapter38
シェルブールの雨傘 ~ シトロエン C3 2009年式 ~
The Umbrellas of Cherbourg ~ Citroën C3 2009 ~
和歌の時代を思わせる朱色の五重塔が
霧雨に晒され
うっすらとヴェールをかぶったように見える
歌など 詠んだことのない僕でさえ
5.7.5.7.7の 文字合わせをしてみようかと
思いをはせながら 山門を潜った
その時・・・
僕の隣を行く女性の鴇色の傘が僕に当たった
「ごめんなさい・・・」
聞き覚えのある声に 僕は脚を止めた
「Rumi・・・?」
7年前 カノジョと僕は婚約していた
自動車整備工場で働きながら
週末は 地元で開催されるレースに参戦するレーサーだった
一方 カノジョは
整備工場の前にある 弁当屋の一人娘だった
お互い 母子家庭だった境遇からか
それとも
単に365日 欠かさず弁当を買う 油まみれの男と
365日 休まずお弁当を手渡す女に
互いが 慈愛の気持ちを抱いたからか
今となっては 馴れ初めを思い出すこともできないが
気が付けば 互いに 相手の肩を借りて生きていた
幸せな家庭の扉が目の前で開きはじめていた
そんな矢先に 僕はレースで事故をおこした
幸い単独事故で 命にも別状はなかったが
僕の右半身には 大きな後遺症が残った
カノジョは そんな僕でも 一生傍にいたいと泣いた
しかし・・・
カノジョの母親は それを許さなかった
自分の娘を わざわざ いばらの道に導く親などいない
そして僕も・・・
「君の愛に 答えることができない」
7年前の七夕・・・ 僕はミルキーウェイを渡ることを断念した・・・
Sam Smith - Palace
そして今・・・
僕の前を行くカノジョの横には
ダークブルー傘の男性と 山吹色の傘の男の子がいた
男の子はしきりに後ろを振り向いては
「ママ・・・」 と呼んでいる
カノジョが 結婚したことは 風の便りに聴いていた・・・
右半身マヒの宣告と カノジョを失った喪失感から
僕の人生は 虚無感で覆いつくされた
そんな僕を
病院の庭に咲く紫陽花を指して 看護婦が勇気づけてくれた
「紫陽花は
土壌が酸性だと青色に アルカリ性だと赤色に近づくのよ
だから 同じ場所に咲く花でも
微妙に色が変わっているの
その どれもが美しく輝いているわ
貴方のこれからの人生は 今までと違うものになるけど
それでも美しい花を咲かせることは できるはずよ・・・」
看護婦の言葉に励まされ リハビリを行った結果
僕の体は 医師の宣告を跳ね除けて
今では99% もとに状態に戻っている
僕とカノジョとの 微妙な距離間は 駐車場まで続いた
その時・・・
カノジョの横にいた男の子が叫んだ
「あーおんなじだー!」
見ると 僕の愛車シトロエンC3の横に 同じC3が停まっていた
寄り添うカップルの様に
なかなか出会う機会のない
同型車に興味があり 僕が隣に駐車したのだった
まさか カノジョの車だったとは・・・
カノジョは 助手席に乗り込むとき
チョッとだけ舌を出して 俯いた
それは カノジョが
悲しい思いをしたとき 自分の心をごまかす仕草だった
カノジョは僕に気付いていた
”ごめんなさい・・・”
あの一言は 傘がぶつかったからではない・・・
僕を捨てた そんな罪悪感を まだ持っているのではないか・・・
C3のドアを開けた僕は
運転席に入る前に 軽くクラクションを鳴らした
Fannn!
カノジョが こちらを向いた
「君が幸せならば 何も言うことはない 僕も今は幸せだよ」
そんな気持ちを込めて
僕は 右目ウインクで返した
カノジョを励ますとき いつも使っていた仕草
そして 事故以来 できなくなっていた右目ウィンク・・・
たった今・・・ 僕の傷は100%完治した
「どうしたの・・・」
後部座席から
看護婦だった僕の家内と 4歳になる娘が言った
「アジサイに サヨナラしたのさ・・・」
カーラジオから シェルブールの雨傘のテーマ曲が流れた
ギィ(Nino Castelnuovo)とジュヌヴィエーヴ(Catherine Deneuve)が
ガソリンスタンドで 出会うシーンを思い出した
さっきまで降っていた雨はやみ 雲間から太陽が見える
限りなく蒼い空のようなカノジョのC3と
夕陽のように赤い僕のC3は
虹のゲートをくぐると
それぞれの幸せに向かって 走り出した