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フェミニストしばくべし

フェミニストには「フェミニズムが達成された社会は男性にとっても生きやすい。生きにくさを抱えている男性もフェミニストになれば生きやすくなる」という信仰を持っている人は多い。それはこういう理屈だ。

「女性が生きやすい社会は人権が守られている!」
「だから人権が守られている社会はすべての人にとって生きやすい社会だ!」

当然ながら、我が国では憲法によってすべての国民の人権は平等に保障されている。被疑者・被告人の権利や外国人の権利、労働者の権利など、十分に保障されていない権利も確かにあるが、それらは男女関係ない問題だ。

繰り返すが、男だけが保障され女だからといって保障されていない人権など、我が国には存在しない。

よって、「フェミニズムが達成されれば生きやすい社会になる」というのは妄言である。

「フェミニストになれば生きやすくなる」などというのは「○○に入会したら彼女ができました!」のようなアヤシイ商売の常套句である。決してだまされないように(だまされるような人は僕のnoteを読まないだろうが)。

フェミニストの言う、「生きやすい社会」とは、「不快感を感じない社会」のことであるということは以前に書いたとおりだ

――不快感からの自由――一見すれば耳障りの良い言葉かもしれない。しかし、そんなものを人権として認めてしまったら、もしあなたが不快な存在とみなされたとき、あなたの人権はどうなってしまうのだろうか。あなたの表現の自由は?あなたの思想・良心の自由は?
人権とはそういったものを吹き飛ばしてしまうくらい強力な権利なのである。軽々しくありもしない権利のことを「人権」などと呼ばないで欲しいものである。

このようにありもしない権利のことを「人権」とみなしてしまう理由の一つに、憲法13条の幸福追求権がある。幸福追求権とは、人権とは憲法に書かれた権利だけではなく、個人として尊重されるための権利の総体のことであるというものだ。例えばプライバシー権や環境権などの「新しい人権」がこれにあたる。

ここで注意すべきなのは「幸福”追求”権」であることだ。幸福の定義は各個人によって異なり(個人的にはそうは思わないが)、価値観も異なるため、「幸福になる権利」ではないのだ。その人の人格的生存に必要な「不可欠」の権利であることに注意したい。

これに対して「不快感からの自由」はどうであろうか。「不快感」というその人の価値観を基準とした権利であり、これはまさしく「不快のない状態」という幸福状態を権利化せよというものである。とても新しい人権とは呼べない代物であることは明白だろう。

ちなみに新しい人権を乱発してしまう状態のことを「人権のインフレ化」などと呼ぶ。これによって既存の人権と新しい人権が過剰に衝突しあい、結果として人権保障が名ばかりのものになってしまうのだ。このようなフェミニストの蛮行は許してはならない。

フェミニストは「生きやすい社会を!」などと叫んでいる。だが一方で「誰が生きにくさを感じている弱者であるか」というのは、フェミニスト女性達が勝手に決めてしまう事柄なのだ。つまり、生きにくさを抱えた男性がフェミニストになったところで、フェミニスト女性が「あなたは強者男性です」と言えば、その人が抱えている問題は無かったことにされてしまう。そこがフェミニストの最も許しがたい傲慢さの一つであろう。

生きにくさの形は多種多様である。メンヘラだったりカタワだったり貧乏人だったり、幸福の形にはテンプレがあるが、不幸の形はいくらでも存在する。フェミニズムはそういった多種多様な不幸を一つの型に当てはめているのだ。その一つが「権力勾配」の概念であろう。フェミニストは「権力勾配」が存在し、権力を持っていない方(この場合、権力とは具体的に何かは定かではない。そういった意味でも誰が弱者であるかを決めるのはフェミニスト女性達のお気持ちであることがわかる。)が差別されており不幸であると主張しているのだ。

精神病を患っており、重度のメンヘラな筆者からすれば、「権力勾配」などというものが存在しなくても不幸なものは不幸だ。なぜなら自分が不幸だと感じているからだ。その事実は変えようがない。仏教徒みたいに「不幸だと感じなければ不幸ではなくなる」というような頭のおかしい信仰にもコミットしたくない。この不幸な状態は自分だけのものである。

それをフェミニストは不幸か不幸でないかを判断するのである。「お前は強者男性だから不幸ではない」「お前はマジョリティだから不幸ではない」、逆に「あなたはこれだけ差別されているのだから不幸だ」「あなたはとてもマイノリティだから不幸だ」などと吹聴する。かわいそうランキング高めな人(権力勾配の下側の人)には優しいが、かわいそうランキング低めな人(権力勾配の上側の人)には徹底的に厳しいのだ。

繰り返すが、これらはフェミニスト女性達が勝手に判断するのだ。なんら客観的な事実もなく(彼らにとっての客観的事実は状況によって右にも左にも変わる。)、集団のお気持ちで決められてしまうのだ。これほど恐ろしいことはない。あなたがどんな生きにくさを抱えていたとしても、フェミニスト女性達に「あなたは強者」と思われたら無かったことにされてしまうのだ。まるで陰湿な学級裁判である。

フェミニストとは無知で傲慢で陰湿な存在である。フェミニズム滅すべし。フェミニストしばくべし。

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わとりん
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