平等はない
特権とは、というyoutube動画を見ました。
8つの条件に当てはまる人は、競争のスタートラインから1項目につき2歩、前に進んでいい、というルール。
1 両親が離婚していない
2 父親(役)のいる家庭で育った
3 私立学校に通ったことがある
4 無料の家庭教師がいた
5 携帯電話を止められる心配をしたことがない
6 家計を助ける必要がなかった
7 (スポーツ特待生だからという理由以外で)
大学の学費を自分で払わなくてもいい
8 食べ物の心配をしたことがない
教育システムや社会構造も違うのでこれがそのまま日本で使える条件にはならないとは思います。このレースの舞台は大学ですしね。
日本に置き換えるなら
1 両親が離婚していない
2 父親(役)のいる家庭で育った
3 (高校)大学に進学できた
4 塾に通っていた
5 携帯電話を止められる心配をしたことがない
6 家計を助ける必要がなかった
7 大学の学費を自分で払わなくてもいい
8 食べ物の心配をしたことがない
こんな感じでしょうか。
これをなくせって話ではないんです。いろんな家庭環境や経済状況があるのは仕方ない。人によって性格が様々なのはどうにもできないように。どうにもできないというか、そうでなければ成り立たないものだなと思います。
自分のことをnoteに書きながらどんな助けがあればいいんだろうと考えてますけど、上の項目の意味するところはつまり「経済的余裕」ですよね。
経済的に余裕があれば生きていること自体がもう少し楽になる。
経済的に余裕があれば人を助ける余力も生まれる。
例えば私!(私は自分のことしか知らないので自分ベースで話をします)
虐待受けたり性犯罪被害に遭ったり周囲に理解されなくて孤独だったりすることを7年もカウンセリングに自腹で通って整理整頓してきましたが、通ってない時期があったもののだいたい月1ペースで面談していました。
12か月×7年×一回5000円
1年で6万円。トータル42万円ですよ。
本当なら、週1回のペースで進めるのが理想と言われていましたのでそれを実行しようと思ったら単純に4倍すれば168万円が必要でした。
私が自分のケアのために42万遣ってる間に、その必要がない人は42万貯金できるわけです。
そもそも、治療を要する状態で進学、就職している時点でそれを必要としない人とは走ってる場所が違います。
私が1ヶ月に5千円を稼ぎだすために使う労力と、それを必要としなかった人が使う労力もまた違うし、5千円が収入に占める割合も全く違う。
自分に治療が必要だと感じても、5千円のハードルは決して低くない。
貸付や生活保護の相談に行ったこともありますが、家から逃げて生活しているため生活保護申請で家族に連絡がいくのは非常に困るし、貸付を受けたところでそれを返済できるあてもない。
結局今手に入るお金でどうにかするしかない。
メンタルだけではなく他に体調が悪化しても病院にも行けず、食費を削りまくるので栄養状態も悪い。栄養状態が悪いから回復も遅いし、仕事のパフォーマンスも下がる。
負のスパイラルです。
これをもっと公的にサポートしてもらえないのかというのが、自分に直接かかわる「欲しい支援」で、こうした未来を減らすためにどんな状況でも高度な教育を受ける機会を得られるようにしてほしい、というのが社会をより良くするために「あって欲しい支援」。
被虐待者の苦難は虐待されているその時だけではなく、以後もずっとずっと続きます。
犯罪被害者に平穏な日常は、正直戻ってきませんし。
さもなくば「苦しまずにこれを終わらせる選択肢」を与えて欲しい。
そのどれもここにはない。