大学院に行こうと思ったきっかけ

 こんにちは。私は先日、旧帝大学の大学院入試を受けて、明後日に合格発表を待つBF大学(失礼ですが…)に通う女子大生です。
合格発表まで約2週間ほど時間があるのですが、今日まで映画を見たり漫画を読んだりして気を紛らわせてきました。しかし、明後日に合格発表が迫ってき、ネットで「院試 合否 教授」「院試 面接 合格フラグ」「院試 合否 不安」など調べて更に不安を煽るようなことをしてしまいました。
そんな中、ブログやこのnoteで、院試の合格体験や不合格体験の記事を目にし、私も書いてみようかなと思い、今に至っているというわけです。
 こんな長々前置きを書くのも読む方が大変なので、タイトルにもあるように最初に大学院に行こうと思ったきっかけから話そうと思います。これを読んでくれる誰か(いないかもですが)にとって”大学院に行くきっかけ”や”合格発表を待つ際、気を紛らわせられるようなもの”になればいいなと思います。深夜テンションで書いてるので拙い文章ですがご了承ください。

 まず、今なぜとあるBF大学(偏差値40以下、学科によっては越えてます)に通っているかというと、筆者が高校時代真面目に勉強してこなかったからです。いや、正確には高校3年生(5月あたり)から受験勉強を真面目に始めたが勉強するには遅すぎたという感じです。まあ、そんな感じなので受けた大学(熊本大学・福岡大学・現在通っている大学)のうち、滑り止めの現在の大学しか合格しませんでした。センター試験も悪かったですし、この結果は予想できていました。しかし、少し学歴コンプレックスに陥ってしまうことにもなりました。それでも、合格したからには楽しもうと思い、大学生活は友達のおかげで有意意義に過ごすことができています。私の大学ではメディアとデザインを中心に学ぶことができる大学で、私はメディアに興味がありました。詳しくいうとテレビや新聞記者、広告、CMなどです。大学1年は教育基盤科目が主なので、そういった類の授業を受けることはあまりなかったですが、数少ないメディア系の授業を受けた時「あれ、なんかあんなまり面白くないな」が感想でした。その当時、私はテレビ局のディレクターになりたいなと思っていたので、この授業が本当にディレクターになるために必要な知識なら私はディレクターに向いてないなと感じました。そんな感じで授業を受けていたので提出物などは手抜きがちになり成績もB(A A ,A ,B ,C,,,の順です)という中途半端な成績ばかりでした。受けていたのはメディアの授業ばかりでなくデザインの授業も受けていました。デザインの授業は元々イラストを描くことが好きということもあり楽しく受けることができました。

おい、お前の身の上話はどうでもいいんだよ。いつきっかけを話すんだよ!という感じですよね。

すみません、そろそろ話します。今までのは重要なところ以外は恐らく流し見することを想定して(私はいつも記事を読むときはそんな感じなので)書いていたのでこれからが本番です。

 私が大学院に行こうと思ったきっかけは、ある授業とその先生です。
 最初に授業について話そうと思います。その授業は大学2年生の時に受けた「デザイン概説」という授業で主に世界の様々なデザイン事象(なんのためにそのデザインがあるかなど)を学ぶという授業です。この授業は私の友達にとっては退屈だったらしいですが、私にはとても面白く、興味を引くようなものでした。デザインという意味を考えさせられるきっかけにもなりました。この授業を受けてから私は積極的にデザインに関する授業を受けるようになりました。特に、その授業をしてくださった先生(仮にお米先生と呼びます、私が勝手につけた愛称です)の授業は全て取りました。大学2年の秋には所属するゼミを決めるために取る演習科目がありました。デザインの先生はお米先生の他にももう1人いたので2つの演習科目と、一応メディア系の先生方の演習科目2つの合計4つ取りました。受けてみた感想は、やはりメディア系の演習科目はあまり面白くない(個人の感想です)と思い、お米先生じゃない方の先生の授業は生徒のことを見下してるような感じだったので大学3年から所属するゼミはお米先生にしようと決めていました。ゼミに所属してからは自分を表現するためのデザインやタイポグラフィ、クリティカル・デザインなど、モノを制作したり学んだりしてきました。
 そんな中、大学3年の5月ごろ、そろそろ就活のこととか考えないとなぁとぼんやり考えていました。その時までに私はテレビ局のディレクターなどのメディア関係から商品をデザインする、商品開発・企画ができるところに就職したいと考えていました。しかし、私が通っている大学はBF大学、企業がわざわざ美術大学や芸術を専門に勉強している大学生を蹴ってBF大学に通う私を採用するわけないよな、と思いました。実際、私の大学の主な就職先は中小企業の営業が多かったです。稀に広告会社に就職する方もいらっしゃいますが、その人はラジオパーソナリティや○○クイーンなどの肩書きを持っている方です。そんな肩書き持っているわけもないので、就職先どうしようと悩んでいました。その悩みをお米先生に相談していたところ「M(筆者)さんなら大学院進学もいいと思うよ。」ということを言ってくれました。その時は「ええ?」と思いましたが、確かに今の大学ではデザインに関しての知識を得ることはあまりできないし、私自身もっとデザインの勉強をしたいなと思っていました。

 そこから私は大学院探しを始め、お米先生や彼氏(突然の登場、彼は旧帝大です)の助言から先日受けた旧帝大の大学院に行きたいと思うようになりました。旧帝大のパンフレットの最後のページに各先生方の連絡先が載っており、私は手当たり次第興味がある分野の教授にメールを送りました。合計4人ほど送りましたが、「来年退官するため受け入れはできない」や「まだ当大学に入るには不十分だ」というメールを2人からもらい、残りの2人の教授は研究室訪問をさせていただきました。先に研究室訪問に行った教授は、その教授が受け持つ卒研の学生と私の3人対談?という不思議な感じであまり話すことができませんでした。最初にその教授が受け持つ学生の修論の紹介をしてくれた程度でその他はその学生と話してるという感じでした。次に連絡をくださった教授(仮にミンゴ教授とします、私が今つけました)は、優しく対応(前述の教授も優しかったです)してくれ、いきなり研究室の様子(卒研についてのミーティング)を見せてくれたりと他の研究室の教授とは違うなと感じました。私の質問にもいくつか答えてくれました。そこで絶望した質問を紹介します。「〇〇先生(ミンゴ教授)の研究室には外部の学生はいますか?」という質問に対してミンゴ教授は「はい、いますよ。筑波大学や北海道大学、九州工業大学などいますよ。」と答えてくださいました。私はこの答えに対して、「マジか、有名な大学ばっか、私大(しかもBF)いないじゃん…」と絶望しました。この時点で大学院進学は無謀かもしれないと思いました。BF大学から旧帝大ですよ。それは無理だと当時のバイト先の店長にも嘲笑われたぐらいです(店長がモラハラ気味だったのでやめました)。まあ、こんな話は置いといて、その研究室訪問から私はミンゴ教授の研究室に入りたいと考えるようになりました。
 研究室訪問が終わって1週間して、ミンゴ教授が「単位は上げることができませんが、私が開講する集中講義に参加しませんか?」という連絡をくださいました。そんな連絡をくださるなんて思いもしなかったので嬉しさ半面驚きでした。すぐに返信し、その集中講義に参加することができました。この集中講義について語ると長くなるのでざっくりした感想を言うと、めちゃくちゃ楽しかったしもっとデザインに関して勉強したくなった!と言う感じです。
これ以降、ワークショップなどに呼んでもらうことが多くなり、ミンゴ教授との交流はだいぶ取ることができるようになっていました。

これ以降の話は明日書こうと思います。大学院に行こうと思ったきっかけだけなのにすごく長々と話してしまいました。しかも終わり方も突然ですね。許してください。
それでは、また。


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