独りで戦ってる人って全然いない。
俺は麻枝准という脚本、作詞作曲家が大好きである。
麻枝准はKeyというゲームブランドに所属しているライターだが、Kanon,AIR,CLANNAD...Angel beatsなど様々な作品を手掛けている。ストーリーを書くだけではなく沢山作曲をしている。
俺は麻枝准が書いた曲で救われてここまで生きている。ここ5,6年この人の曲を聴かなかった日はない。
最近はOrangestarというボカロ作曲家を聴いている。
数年前から存在は知っていて、幾つか曲を聴いていたが、麻枝准がラジオで「Orangestarさんは何か俺と似ている所を感じる」みたいな事を言っていたから聴いてみた。
その中で一番気に入ったのが「時ノ雨、最終戦争」という曲だ。
一部の歌詞を抜き出す。
『また明日の雨に打たれたっていつか
この世に生まれてきてよかったって
言えるようになるかな
その日まで
負けないよ』
とても諦念感を感じる歌詞だが、最後には『負けないよ』という前向きなメッセージで締めくくられている。
これを聴いたときに麻枝准の曲「Hungry Song」を思い出した
これもまた一部の歌詞を抜き出す。
『何もかもが嫌になっても死んじゃいけない 生きていこうよ
いつか報われる日が来るからそれまでは我慢
大丈夫あたしが約束するよ 生きてみて』
こちらも諦念感を感じる歌詞だが、『生きてみて』という前向きなメッセージで締めくくられている。
しかし、この2つの歌詞には大きな違いがあると思う。
前者は、「自分で」前向きに生きていこうという決意。
後者は、「誰かに」前向きに生きてみてと背中を押される。
「自分で」前向きに感じれるのと、「誰かに」前向きにさせられるのでは、その人の心の強さに違いがある。
「自分で」前向きに感じて歩き出せる人は、それだけ他に自分を補ってくれる、補填してくれる何かがある。それは家族だったり、恋人だったり、友達だったり、趣味だったり。
一方で、「誰かに」前向きに感じさせてもらい歩き出せる人は、その誰かが居なければ、諦めたときにそこで終わってしまう。
その誰かは大抵『自分が知らない会ったこともない誰か』である。
俺の場合は麻枝准の楽曲。
自分は家族とは仲がいいけれど、全てを打ち明けられるだけの勇気も強さも持っていない。友達はいないし、恋人なんて以ての外。趣味もなく唯流されるままに生きている。
初めて「時ノ雨、最終戦争」の歌詞を聴いたときはシンパシーを感じたが、後にこの曲の作曲家、Orangestarさんの経歴を知ると、Orangestarさんは24歳で、去年に5歳下の歌い手兼絵師の夏背さん19歳と結婚を発表したらしい。
これを知った時、「ああ、こんな歌詞を書くけれど、本当に不幸せでこの歌詞を書いたんじゃないんだ。独りで戦ってる人って全然居ないんだな。」と思った。
「自分で」前向きに感じられる歌詞を書けていたのは、「誰かに」前向きに感じさせてもらえる前提の話だったのだ。
何を言いたいのかは自分で理解できているけど文章にするのは凄い難しく意味不明な人が多いだろう。
なんというか...
独りで戦ってる人って自分が思っている以上に少ないし、独りで戦ってる人の「隣の芝生は青く見える」は「本当に隣の芝生は青い」のであって、夢を見るな、独りの人を探してもそいつは独りの皮を被った心の強い人間だ。
ということである。