ターニングポイント ~東日本大震災から10年~
東日本大震災から10年が経った。
今年3月にニュースを見て、ああもうそんなに経ったんだな…と不思議な気持ちだった。
私はあのころ東京で暮らしていて大きな被害はなかったけれど、あの出来事が自分の人生のターニングポイントの1つになった。
当時は、「自分は一生結婚しないかもしれない」と思っていた。
姓が変わることに関する諸々の手続きや親族付き合いの面倒さ、うまくいかなくなったときの関係解消のための手間を考えると、好きで一緒にいたいのであれば同じ家に暮らすだけで十分、デメリットを超えるメリットはないと考えていたからだ。
あの日、私は皇居の近くのオフィスでいつも通り仕事をしていた。
今日は夕方に客先訪問の予定がある。提案を通してそろそろ契約を確定したい。そんなことを考えながら提案資料の準備をしていた。(※1)
合間にプライベートの悩み事が頭を過る。
付き合って3年になる恋人とはそろそろ結婚の話も出ていたが、元々結婚について消極的な私は気がすすまず話は滞っていた。相手を嫌いなわけではなくそれにまつわることが煩わしかった。一緒に暮らすなら結婚するべきと考える相手と、同棲で十分だと思う自分の意見は噛み合わない。
いま考えても答えは出ないし、とモヤモヤを心の奥へ追いやる。
資料を受け取り自席に戻ろうとしていたら世界がぐらりと揺れた。
「ああ、また眩暈か…」と俯きながら側にあったデスクに手を着いたが揺れはひどくなる。
異変に気がついて顔を上げるとオフィスの中の物がゆさゆさと揺れて液晶モニターがバタバタ倒れ始めた。
どこかで誰かが悲鳴をあげているが確認する余裕がない。立っていられない。
頭の中は混乱して真っ白でその場に座り込みデスクに掴まるぐらいしかできなかった。
(え、これもしかして…死ぬ、かも…?)
随分長く揺れたあと(※2)立ち上がって見まわした社内は物が散乱していて呆然としたがすぐに誰かの声で我に返る。
「いまのうちに1階に下りよう!」
鞄と携帯を掴んで滅多に使わない急な非常階段を余震に怯えながら壁伝いに下りた。
外に出ると周りのオフィスビルから同じように青い顔をした会社員たちが出てきており、通りには人が溢れていた。
どうしらいいのか分からず、先輩と「もう客先向かう時間だけど…どうする…?資料、オフィスに置いてきちゃったな…」と話す。(※3)
結局全員帰宅指示が出たのだけれど、勿論大きな揺れがあった直後だから電車は動いていない。「歩いて帰るしかないよね…」とりあえずみんな自分の家に向かって歩くことにした。
私はそのころ会社から比較的近い場所に住んでいたので家までは1時間半程度歩けば帰れた。
ぞろぞろと通りを移動する人たち、通りに面したコンビニや店舗は店内に物が散らばってぐちゃぐちゃ…異様な光景。
(いまどんな状況なんだろう…明日からどうなるの…地震はもう心配ないの…?)
頭の中に疑問と不安がぐるぐる回っていた。
恋人の顔が頭を過る。
こういうときは電話回線が混み合ってるのは分かってる。連絡をつけるのは難しそうだが安否確認をどうやってするか…何らか本人から連絡がくるのを待つしかないのか…でも連絡できないようなことが起きていたら?どこかに問い合わせるとしても私は家族じゃないから答えてもらえないかもしれない…何かあっても私のところに連絡が入るわけでもない…
冗談みたいに簡単にある日突然その人に二度と会えなくなったりする、それは去年身近に起きたばかりでよく分かってる。
嫌な想像ばかりが浮かんだ。
そうこうしてるうちに日比谷線沿いの自宅マンションに着く。
何も答えは見つからないけれど、まずは部屋の中の状態を確認して必要なら片づけをしなくては…
「あ、おかえりー」
ドアを開けると何故か恋人が部屋にいた。
元々会う約束をしていたのだが、今日は用があって午後半休をとっていてそのまま来てくれていたらしい。偶然が重なった幸運だった。
玄関に座り込みながら「良かった…」と言葉が零れた。
安堵で涙が出そうになって、自分が恐怖と不安でいっぱいいっぱいだったことに気がついた。
そのあとも津波のニュースや仕事や生活の状況の変化…いろんなことが起きて、自分の中で少しずつ意識が変わっていった。
当たり前の明日が必ずくる保証なんてどこにもない。
法的に力を持つ家族という絆。
メリットもデメリットもあるけれど自分に必要なこと。
そして私はその年の秋、結婚することを決めた。 (※4)
----- 注釈 -----
※1:あの頃は職種はSEだったけれど営業に同行したり保守契約をしているお客さんに追加開発の提案をしたり、売上目標が設定されている立場だったので数字に追われていた
※2:実際は160秒ぐらいだったらしい
※3:2人とも混乱しており、どう考えてもそれどころじゃないのに真面目にそんな話をしていた
※4:残念ながらその数年後に離婚することになってしまったけれど…