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母立ち


 お金ってなんなんすかね、と彼が聞いたら中間は「幻想ですよ」と目を剥いて言った。中間は大借金がある。苦手意識や対抗意識というのは世の中に必要でないものなので、仲間意識というものを持って彼は中間に「ああ」と言った。「ああ」は中空に浮いたままになってそのへんを汚く漂った。中間の携帯のYouTubeがうるさかった。「YouTubeはそれはなにを見ているの」「脳が開いていかない系のです」「なんでそれを見ているの」「暇だからです」「じゃあいい加減帰ろう」「帰りましょう」そうやって早朝に彼と中間は家に帰った。
 彼は地下鉄のなかで夢を見て、上田正樹みたいなひとがビッグバンドでハミングしてるようなものだったけど、三日後の今日香里園の街頭で本当に上田正樹がかかっていた。三日後の今日脳が開いていると勝手に彼は思っていた、勝手に思っているのはそれと、今日が今日であるとか、時間が進むこととか、人の顔を覚えているとか、道を覚えていて家まで帰ることができるということ。なにかによって整合されていて、整合されているから、自身や他の人間などについて思い悩んだりすることもできる、と思っていた。それから船場の近くで乗り込んでくれた、年配の母娘のことも、勝手に思っていた。
 母はきれいに整ったおかっぱの茶色い髪の毛をしていて、手押しを引いていた。娘は両手に荷物を持ち、逆方向ですけど、福島まで、と言って乗り込んだ。彼は手押しをトランクに入れて、じゃあなにわ筋からいきますね、と言って発進した。
「あんたうちの場所この人に言うたん」
「うん」
「福島やで」
「うん」
「ここ福島か」
「ここ船場や」
「そうか」
なにわ筋は少し混んでいた。
「場所わかるの」「うん、さっき言うたで」「うちの場所、大丈夫なの」「うん」「道大丈夫かなあ」「お母さん、大丈夫やで」
彼はちょっと大きい声で、さっき聞いたので道大丈夫ですよ、あと十分くらいで着きますよ、とふたりに言った。母は数十秒後に「ここどこやろう。大丈夫かなあ」と言い、娘は「うん、大丈夫」と言った。福島の天神さんを通りすぎたとき、母はここ天神さんか、と言い手を合わせて「ありがとうございます」と言った。それは形式ばっていたけど、本当に何百、何千回繰り返してきた響きがあった。す、が少し伸びて、中音が母の身体全体を響かせて、その音で車内が充満するみたいだった。それから目的地まで数百メートル。数百メートルの間に母は、ここ福島か、ここはどこか、家はどこか、繰り返して娘は頷いていた。到着したとき、母は娘にゆっくりとした口調で
「ねえ、なんでこんなにわかれへんねやろう」
と言った。娘はなにも言わず、彼は降りるとき、頭、気をつけてくださいね、としか言えなかった。ゆっくりで良いですよ、とか。それかぼくもなんにもわかりません、わかっていませんとか、知ったように言ったところでなんになる、手押しをトランクから出して、開いて置いて母に渡して、母はそれを掴んでありがとうございます、と言った。それからきりっとして、「そこで○○っていう粟おこし屋をやってます。またよかったら来てね」と彼に言った。彼は「いきます。また呑んだときにでも…いきます」と言って車に戻ろうとした。振り返るとふたりは手を振ってくれていたから、彼も手を振ることが出来た。手を振ることが出来たから、ばらばらになりそうな気持ちをやっと整合することが出来た。整合することが出来た代わりに、おこし屋の屋号をすっかり忘れてしまっていた。

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