読書感想文『博士の愛した数式』
博士が数字を語ると、運命めいたものを感じさせる。
真実を、意味を見出すということ。
運命を、物語を見出すということ。
これらは、「物語るヒト」たるホモ・ナランスが為せる業なのだろう。
一点何の変哲もない数字たちに、博士は膨大な知識をもってそれらに意味を与えていく。
それらは連なりだったり、唯一性だったり、何者かの努力であったり。
そしてそれらが存在する奇跡に対して、惜しみない賞賛と感謝をして博士は生きている。意味が宿る数字は美しく、それに敬意を払い、大切にする生き方そのものも、とても美しい。
美しい"意味"はさまざまな繋がりの中で成り立っている。それはつまり物語なのだと思う。
偶然に意味を見出し、感謝する。例えば生命もまた生物的学的・物理学的に極めてロジカルに見ていけば、化学的反応の結果でしかないかもしれない。でも、そこに至るプロセスが必ず存在し、ひとつひとつの何かが欠けていたら産まれ得ない。美しさはそうした過程を愛おしむあたたかな眼差しと感性の中に宿っているのだと思った。
江夏のカードを胸に下げた博士の姿が浮かんだときに涙が浮かんだ。"私“とルートが多くの人が嫌煙した80分間の記憶を受け容れ、博士を諦めなかったこと。80分しか記憶が残らない博士に、そうした2人が「あなたを覚えることは一生できない」とされながらも彼の記憶ではない別の形で確かに刻まれたこと。
涙が出たのは、この282ページの物語が実を結んだその瞬間を、そこに感じたからかもしれない。