対話のクセは、普段会話している人の影響を受けやすいなぁ〜という話
普段、テレビを見ていると「このコメンテーターの話はわかりやすいなぁ〜」と思うときもあれば、「この先生の話は抽象的すぎて全然わからん」なんて時がありますよね。
私はアレを「対話のクセ」って勝手に呼んでいます。
今日はその「対話のクセ」って言うのが、どんなロジックで出来上がり、自分に置き換えた場合、何をしたら良いのか?について考えを深めていこうと思います。
ちなみに今回のネタ。朝起きた瞬間に浮かんだものなんですが、めっちゃ軽量なノートパソコンを枕元に置きっぱなしだったので、起きてスグに構想をNotionで書きました。ほんと、軽量ノート&何時でも繋がるネット環境&保存不要なクラウドサービス、、、提供者の皆さん、本当にありがとうございます。(本編無関係www)
みなさんも感覚的に分かると思いますが、子どもと大人では、会話に使っている単語が異なるだけでなく、文章の長さも変わってきます。
「今日ね、僕ね、学校でね、給食おかわりした!」
「本日の給食は私の嗜好にマッチしており、配給された量だけでは足りずに、クラスメイトとのジャンケンによる争奪戦の上、余ったおかずを得ることができました。」
前者のように話す大人がいないのと同様に、後者のように話す子供もいないでしょう。(いるかも知れないけど、ネタかイレギュラーな存在ですよね。)
これと同じような現象が、人類社会の中で同様に行われているのではないか?と私は思うんです。
大人と子どもの関係性だけではなく、従業員と経営者、元請けと下請け、Webベンチャー系と老舗製造業、、、よく聞くようなセリフ
「あいつ(ら)の言っていることは、よくワカラン!」
「なんでコッチの話を理解しないんだ!」
が、そこかしこで発しられているのではないでしょうか?
そりゃ、まぁ、お互い「理解することを努力する」っていったって、住む世界が違いすぎる。使う単語が違いすぎる。具体と抽象のレベルが大きく違いすぎる、、、自分たちの世界の価値観だけに留まったら、そりゃ相手の言いたいことなんて伝わるわけ無いですよね〜。
例えば、よくあるようなお話、情シス担当と経営者の例で例えてみましょう。「当社には◯◯システムが必要なのに、経営者は重要性をわかってない」という文脈。
そりゃそうですよね。経営者からしたら、「その投資金額で得られる便益やリスク回避はなんのか?」が聞きたいだけなのに、情シスとしたら「そのシステムの要件や機能」しか言わない。そう、最初っから主語が噛み合わないんですよ。
経営者は「会社」とか「金」とか「人」が会話の主軸においているのに、従業員側は「機能」とか「業務」だけに主軸をおきやすい。なぜならば、普段生活する上において、どちらも「他人任せ」にしている部分だから。
会社も家庭も人類社会全体もそうだけど、多かれ少なかれ「分業体制」を引いていると思うんですよね。そうなると、自分の受け持っている仕事や業界については「自分事」として考えるし、会話する機会も多いけど、他人や他社の領分になると、相当な努力をしないと知ることもできない。
そりゃそうですよね。その分野に精通しなくても、社会活動が送れるように人類が編み出した手法が「分業」なんですから、そこいらの野生動物と一線を画しているのは、そういうことでしょう。
(だから分業が悪!なんて言い始めたら、人間は全員野生化しちゃいますよ!そこは気をつけて、、、)
では何故、テレビのコメンテーターなどは、普段接していないし、多種多様なバックグラウンドを持つ、多くの視聴者に対して「自分の意見」を言えるのでしょうか?あくまで私の推論ですが「特定の業界や層にだけでなく、意図して多くの人と対話をしているから」じゃないかと思うんです。(あくまで推論ですよ)
そして、逆もまた真なりで、社内の中でも稟議が通りやすかったり、社内調整が上手い人っているじゃないですか、あれは「その世界の中で深く対話を積み重ねているから」だと思うのですよ。(こっちもあくまで推論ですよ)
私なんかは社外に出すぎて、業界も多種多様すぎて、ショージキ、社内の調整はまったくの苦手です。ただ、実際に社会や会社を動かそうとした場合、一から十まで細かく説明していたら時間がかかるので、「その業界(会社)で利用されている圧縮概念」をうまく使って、短時間のうちに言いたいことをまとめて、伝えなければなりません。
ネット界隈に良く出入りしている人には「ベイクドモチョモチョ」で通じるかもしれませんが、近畿地方では「うちら回転焼きでわかるやん?でも関東は今川焼というらしいねん。そんでインターネット上の共通語として、新たな呼び名を考えた奴がおんねん」と前提条件を細々と説明しないとわからなくなります。
逆にいうと、ネット界隈にいる人からは「そんな説明はいらん!で、回転焼きがなんだというの?」と過剰説明になってしまいます。
つまり、社内の調整や説明をするなら、その会社内での対話の回数を増やして、質を深めればいいし、経営者を説得したければ、経営者との対話を増やして、従業員目線ではなく経営者目線になるように、対話の質を広げれば良い。
なので、自分の目的に合わせて、深めるのか、広げるのか、、、これも分業して上手くやっていくことが重要なんだと私は思います。
ただ、ココで一点注意!
くれぐれも「ねばならない」で会話をしないでくださいね。その緊張感は話している相手にも伝わってしまいます。会話や対話の相手にとって、あなたの持っている「ねばならない」は知ったコッチャありません。
なので、同じ業界や社内での会話が楽しめる人は、そちらに特化して関係性を深めれば良いし、毎回異なる人との会話が楽しめる人は、できるだけ多くの人と話せば良い。あくまで「好み」で選んでほしいです。
そして、自分の対極には「違う会話の好みの人」がいることも理解してあげてください。なにせ人類の最大発明「分業制」によって、自分の苦手なものを好きなこととして、受け持ってくれている人がいるからこそ、この社会は動いているのですから、、、
なんか良かったな、と思ったら缶コーヒーでも奢ってください。
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