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カーリングからの気付き

カーリングの発祥を調べた。氷の上で子供が石を滑らせて遊んだのをインスピレーションにして、スポーツにしたのが発祥ということだった。で、気付いたのですが、あらゆるスポーツってそんなに意味はないのではないかということ。
例えば走るのが早いとか遅いとか、高く飛んだとか飛ばないとか、たしかに記録はすごいのかもしれないけど、誤解を恐れずに書くとそんなにどうでも良いことなのかもと思った。あるルール下において競争して、記録が残る。でも、それって人の役に立つのだろうかと思った。二酸化炭素減らせるだろうかと思ったり。でも昨日の私のように、スポーツによって感動させられる、それで生きる活力になる、これが目的、成果なのかもなと思った。
だからいろんな方面で日々を過ごせば良くて、あの人のようにならないと駄目だってことは本当にない。生きて誰かを笑顔にすることや、勇気を与えることができれば、スポーツ選手と同じことができているのかもしれない。規模、影響力は違うかもだけど、半径3メートル以内の大事な人を笑顔にするのは自分なのかもしれない。
こちらも誤解を恐れずに書くけど、noteの投稿も、文章が決してうまくない方や、有名でない方のものでも、生々しく血の通った投稿に心動かされることがある。
ふとした気付きから何となくこのことを書こうと思った。

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