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ネガティブはデフォルトの癖、ポジティブは習慣。幼児期を過ごした街へ行き、記憶の塗り替えをしてきた。

今日、私が1歳~6歳まで暮らした街を、母と一緒にめぐってきた。

40数年の悲願である、「自分の家の負の連鎖に巻き込まれずフラットな状態になること」が達成でき、数日虚しさを持て余しぼーっとしていたが、

今朝は、ふと今自分の過去に向き合っておいた方がいい気がして、
母にナビをお願いして車で30分ほどの街へ行ってきた。


まずは当時住んでいた家、警察官舎跡。
当時の家は壊されていて、駐車場になっていた。
びっくりするくらい狭い土地で、こんな狭いところに家族4~5人が住んでいたとはとても思えなかった。

当時飼っていた犬が、洗い立ての靴をおもちゃにして泥だらけにしてしまったのに腹を立てた母が、犬の腹にケリを入れていた庭。

警察官だった父が持っていた拳銃。
家の中に人を殺せる武器があるって、異常だったよなぁ。
すごく怖い、絶対的な殺傷能力がある武器がある、父がそれを使えるって
子どもの教育に良くない。
家父長制のピラミッドが強化されてしまう環境だったな。

母がイラついていた台所。

父が私たちのために押し入れにミッキーの絵をペンキで書いてくれた寝室。

母と兄の相性がよいことに腹を立て、家の前の国道でトラックに飛び込んでやろうと立ちすくんでいた玄関。

母が誕生日のごちそうを作ってくれてうれしそうに微笑んでいる写真。

兄と私が国道に飛び出さないように設置された柵。

雪が降ると父がかまくらと雪だるまを作ってくれた庭。

妹ができたときに母が父に嬉しそうに報告をした廊下。

ネズミが出て大騒ぎをした居間。

塗り絵やお人形の着せ替えに夢中だった。

ネガティブはデフォルトの癖、ポジティブは習慣。
幼児期の不安で嫌な記憶に圧倒されてきたが、それを塗り替えるのが今回の小旅行の目的。

あのカオスが、あんな小さな土地の中で繰り広げられていたとは。

次は、母の自転車で送り迎えしてもらった幼稚園へ。
当時とても長い道のりのように感じていたが、車で行ってみると一瞬だった。

途中アケビの木があったり、森になっていた記憶があったが、
私の記憶と今の道路とはだいぶ雰囲気が違っていた。

深い落とし穴を掘った記憶がある砂場は見覚えがあったが、園舎やそのほかの遊具は全く覚えていなかった。

母が、迎えに行くと私がブランコで待っていたという話をしていた。

当時の幼稚園なので、基本的に14時にはお迎え、水曜日は11時にお迎え、夏休み前は11時お迎えが続いたという話もきいた。

今とは考え方が全く違う時代だったんだと実感。
書物から理解するのと、当事者から聞くのとではやはりちがう。

母に迎えに来てもらったが、私が母に置いて行かれた記憶があった。
それを母に尋ねると、

私が砂場で遊んでいて、お迎えに行っても帰らないと言い張ったらしい。
母は「じゃあ置いていくからね」とその場を離れ、しばらくして見に行くと、全く意に介さず砂場を楽しんでいたとのこと。

私の中には、「なんか置いて行かれた」とあいまいに記憶されていて、
見捨てられた、不安な記憶となって残っていた。

大人になった今、話をきいてみると大したことはない。
子どもの頃の認知って、こわいなぁ。
この曖昧な不安感が、こうやって振り返らないとずっと自分に残ってしまう。

記憶を安全に取り出せるようにすること。
これがものすごく大事。

もしかしたら母が自己保身のためにうそをついていた可能性もある。
でも、それでもいい。
大切なのは、私の不安な記憶が、安心で安全な整理のついた記憶としてコーティングされ、取り出しやすくなること。
生きていくのに、楽になるのであればなんでもいい。


次に小学校。
敏感で強迫的な子どもだったので、朝早く学校へ行き、鉄棒で遊んでいたら野犬に襲われた記憶があった。
目立ちたくなかったのに、ものすごい目立ってしまった嫌な記憶。

母が動物が好きで、小学校の池にいるカエルの卵を毎年取りに行った楽しい記憶。


次に仲良しのお友達のお家へ
歩きや自転車で通ったお友達のお家。

道中、セイタカアワダチソウが咲き乱れていた。

秘密基地を作った藪。

美味しいタイ料理をごちそうになったお家。


当時はすごく遠いイメージだったけど、車で移動すると本当に一瞬。


親に依存するしかない幼児の頃、
見えていた世界、理解力、切り取り方、記憶のされ方…

幼児の記憶のままにしておくことの危険性について考えた、訪問だった。








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