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ブレインスポッティング後の気づき

子どもを授かったことがわかった時、私は子どもの自己肯定感を何としても育成しなければと思った。

何故だろう…
私は子どものころから、うちの家系の負の連鎖を再生産することは絶対にしないと心に決めていた。私は4~6歳の時に母への当てつけで自殺しようとした記憶がある。それだけ深く傷ついていて、母から愛してほしかった。負の連鎖の構造改革にとりくまずに、ただその場を一生懸命生きているだけでは、弱者の心が殺されていく。それは、家庭でも学校でも会社でも同じこと。

あぁ、だから私は社会構造を学んだうえで、人の話を聴ききり、全体像を把握して、課題を特定して、それぞれの課題に対するロードマップをクライアントと共に考えていく行為が、大切だと考えているんだ。

そして、社会構造、多様なあり方、自分の感覚を大切にすることを授業を通じて伝えてきた。そこに社会的な意義と、自分自身の癒しも感じている。


学校が構造改革を行う日は来るのだろうか。政治参画面でのジェンダーギャップが改善され、傷が癒えた女性議員、目先の利権ではなく全体を見られる政治家が増える日はいつ来るんだろうか。

学校のゆがんだ構造の中に居る間、私は失われていくものに目が行く。生徒の自尊心、生徒の自律性、生徒の主体性、生徒の人権意識。日本の教育の歴史を見ていくと、明治以降は工場の生産性をあげ、国のために死ねる人材育成、高度成長では24h働けるビジネスマンマインドを育成する奴隷養成所という意味合いが強かった。


自分を尊重されてこなかった人が、自分自身を尊重できるようになるまでの道のりの長さはなかなかだ。根性、執着、知力、運、お金、色々なものが必要になる。すべての人ができることでもない。自分自身を尊重できない状態にいるたくさんの人達が、無意識に依存しあい侵入し合う姿はもう見たくないし巻き込まれたくもない。


私が自分の子どもの自尊心にこだわる理由は、過去親によって殺された私の心が悲鳴をあげるからというインナーチャイルド由来の動機と、自分の子どもには幸せに生きてほしいという親としての普通の気持ち、この二つがある。

私はこれまで教育現場で、自分自身を尊重できない人が、尊重できるようになればいいと思って仕事をしてきた。自分自身を癒す目的もあって。マイナスをゼロからプラスにもっていく作業。

私は、もうマイナスに関わりたくないんだ。ゼロ、プラスの人をメインにして生きていきたい。そして、他者と深くかかわることをしたくない。多様性を感じて、生きていたい。



子どもの自尊心を育成しないと私が私でいられないと思い、自分が被った性被害による傷つき、くやしさ、謎、怒り、全てなかったことにした。自分で自分に呪いをかけた。自分で自分を縛ったとも言える。自分がかけた呪い=抑圧がベースとなって、私の囚われ人生第二章がスタートした。

元夫は、私が子どもの自尊心を育てることに対して並々ならぬこだわりを持っていることをしっていた。だから、私が性暴力、妊娠の経緯を話題にすることはないとふんでいた。私は息子の自尊心をずっと人質にとられてきた。


今回、密室で我を失った男性2人に追い詰められて近距離で怒鳴られ続けた時、私は「あ、危ない状況だ。まずい、私の体格と筋肉量では勝てない。危険危険。これは感じてはいけない。感じられない。感じたら私が壊れる」と思った。だから、解離することによって、自分を守った。

子どもを授かる瞬間、私は「あ、これやばいやつか?こいつ生で入れる気か?え、なんで?うわ、嫌だ。危険。どうしよう。逃げられない。うわ、こいつ入れやがった。性病検査確定だわ。」と思ったのと、重なっている。

性暴力を受けた時の、癒していない奥底に沈めていた記憶が呼び起されたんだ。


妊娠発覚してからは、「私は同意していなかった。私の恋愛心があるから犯罪として言わないだけ。同意なしに相手を妊娠させたことに変わりはなく、理不尽すぎる。男社会だから男性に甘くグレーな感じになっているけど、実際はアウト。」という感情と、

「子どもを育てる、自尊心をもたせるには、私の『暴力』という認識は邪魔でしかない。この気持ちは持っていてはいけない。なかったことにしなきゃ。『運命』ってことにしなきゃ。」という感情が同時にあり、

私はそれ以降、その記憶を心の奥底に沈め、解離し続けることで、子どもの自尊心と被害を受けた自分自身を守った。その解離の一部は数年で解け、私の認識は「やっぱりあれは暴力で、ボタンを掛け違えたまま行くことはできない。」と変化し、離婚をした。


離婚以降、協同親権のような形をとったため、元夫から「僕のことを受け入れてよ。僕の気持ちを汲んで、のみ込んで、言うことをきいてくれよ」という気持ちの悪い要望をされ続けることになった。精神的な暴力と経済的な暴力を受け続けた。私はここでも、感情を麻痺させた。そうでもしないと、この形を維持することができなかった。

元夫の気持ちの悪い甘えと、ハラスメントの加害者の一人の甘え「僕の頭の中にあることが常識なんだよ。なんでそれがわからないんだよ。僕の気持ちを汲んで、のみ込んで、言うことをきいてくれよ」が、酷似していて、超絶気持ち悪かったんだ。なんか、重なって見えたもんな。

精神的な暴力、経済的な暴力の根底にある、男性性を強く内面化していることによる過度の甘えが、共通項だったんだ。


そういう人間と関わり合いながら仕事をしたくない。
そういう人間の下で仕事をしたくない。
日本で他の会社に移ろうと、人を選ぶことは難しい。
海外でも、そういう人はいる。

私は独立したい。


私は子どもの揺れに踏ん張りきることができなかった。

思春期、学生ということで、感情をコントロールできないことが許される、暴言、暴挙が許される、近くにいて関わらないといけない教員・母という立場に、心底疲れている。

いや、仕事で発達障害×性暴力・発達障害×ネグレクト×コンプレックス・発達障害×加害事件・貧困×ネグレクト×自殺未遂…という属性をもつ思春期の人間と、そしてモラルが本当にない一部の保護者と関わらざるを得ず、疲れ切っていた。

また、職場の無法地帯感、プライドの塊の教員成分が多めの職場、時間外労働を強制され交通事故に遭ったこと、危機対応ができなさすぎる上司が現場を混乱させ続けしりぬぐいをさせられること、上司が暴力を隠ぺいしようと画策すること
ここ、書いていて苦しいな…

疲れ切っていたところに、最後、自分の子どもの揺れ、ぼたんを掛け違えたまま進んできた(子どもの自尊心を守るためにもう少し隠していないといけないこと)歪みが押し寄せてきて、踏ん張り切れなかった。

うん。私は今、不安定で実行力のある思春期の人間に関わりたくない。発達障害傾向の強い人間と関わりたくない。思考停止して歪みを放置する人間と関わりたくない。独立して自分で色んなことを決められる立場になりたい。年金の心配もないようにしたい。


私はずっと寂しかった。自分に合う人たちに囲まれていたい欲求が強いけど、自分に合う人がものすごく少ない場所で生き続けてきた。

都心に家を借りて、ホームステイを受け入れてみようかな。民泊でもいいし。

誰かを育てるとか、成長を見守るとか、そういう重たい仕事は、もうやりたくない。私の才能・強みはそこで発揮できるけど、ちょっと今はおなか一杯過ぎて関わりたくない。



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