武田友紀さん「繊細さんの幸せリスト」・教員として生きることは私の幸せにつながるか
「繊細さんの幸せリスト」で気になったところ
>幸せをふやすポイントは、「成果主義から一歩外に出る」ということです。夕焼けがきれいだなぁと思うとき。丁寧にとった出汁がおいしくて、「もう一口!」と追いかけるとき。カフェの店員さんの、ちょっとした笑顔が嬉しいとき。
この文章を読んで、
「高校の教員として常勤で働き続けながら、自分の感性や繊細さを大切にすることはできるだろうか…」と疑問がわいた。
私は学校に行くと、自分の感情のスイッチを切って目まぐるしく仕事をこなしている。
「この残り5分の休み時間でこの書類を起案して…」
「非常勤の方が自分でプリントを作れないと言うから、ここを訂正して共有して…」
といった事務作業や授業づくり。
生徒から話を聴いてほしいという依頼があればそれらの仕事を後回しにして対応する。
週5日、勤務時間内で仕事が終わるように、障害物競走を全速力で駆け抜けているような感じ。
業務削減をここ5年程やってきたので、自分の業務のスリム化のノウハウはある。
しかし、周りの職員がスリム化の方向に舵をきらないと、巻き込まれる。
学校現場、この巻き込まれ事故が結構多い。
自分が業務削減を推し進めていても、若い先生たちの学校の中で自己実現をしたい気持ち、学校や部活に自分の居場所を見出し学校に依存している先生たち、労務管理という単語は知っているが、実際に体感したことのない管理職、仕事をbuild&buildする文科省…
日本は、自己と他者の境界線を曖昧にするコミュニケーションを求められることが多く、特に学校は依存の巣窟になっている。
文科、管理職、同僚、保護者、生徒…
自分の足で立とうとする人と滅多に出会えない職場。
今まで、業務削減、管理職に意見書、職員会議で意見、会議を簡略化したりと、色々やってきたけど、深くて広い毒の沼の中で、必死で自分の領地だけ緑にしようとしても、限界がある。侵入浸食されないようにするだけで結構なエネルギーを使ってしまう。
学校に依存している先生たちは、依存しているという意識はなく、依存によって幸せを感じている。
「我々に認められている自由は、他者の人権を侵さない範囲に限られる。」と私から境界線を引くと、自分を否定されたと、全力で私をつぶそうとしてくる保護者や先生がいる。
仕事依存、学校依存のジャンキーが圧倒的多数を占める職場で、感じる力の強い私が感性を大切にしながら生活することができるんだろうか…。
これまで通り週5日、感覚をオフにすればいける。マイナスを防ぐために感覚をオフにすると、プラスも得にくくなってしまう。
感覚をオフにしてマイナスもプラスも感じにくくなったまま生きていきたいか…
思いっきり感受性を爆発させて感じて生きることができる世界線があるなら、私はそちらに行きたい。
>感じる力を伸ばすもうひとつのポイントは、「いい感じ」と同じくらい「嫌な感じ」も大切にすることです。
思い浮かべると「イヤな感じ」がするものリスト
ハラスメントを一生懸命隠ぺいしようとした管理職
ハラスメントをしてきた家父長的な価値観に染まった男性の同僚たち
男性化している女性の同僚たち
思考停止している同僚たち
暴力的な環境で育ち精神のバランスを崩し、他害や自害を繰り返す高校生たち
モンスター化した保護者の方
教員の人権を露ほども守る気が無い文科省
一部の人間の既得権益のみ守り、他から搾取するシステムを構築・維持する日本政府
性教育(これまで力を入れてきたけど、過去の傷由来の動機だったから、今はあまり関心がもてない)
日本の公立高校で教え続けること(生徒保護者によって匿名性を脅かされる、悪意を向けられることがある。私の幸せや私の大切にしたい暮らし方に直結しない)
家父長ばりばりの父と支配下に置かれて思考停止した母
男尊女卑思考が強く、男性の既得権益を守ろうとする元夫とその親族たち
私の本音は、「授業は大好き、でもジャンキーの同僚上司とは働きたくないし、顧客もモンスターは遠慮する。」
授業は大好きだったが、今やりたいかというと私の中に引っかかりがある。私は、自分の幸せの形を明確にする目的もあって授業研究していた。あの箱の中にいる人達はほぼ全員病んでいる。病んでいる人達に囲まれていても私の幸せには直結しない。私の中の幸せの形は明確になってきているから、これからは実際に味わって経験したいと思っている。
実子を育てるために教員にならざるを得なかった。当時苦手だった、人前で話すことも、授業を創ることも、子どもを育てないといけないから必死に努力してできるようになっていった。いつの間にか、息を吸って吐くかのようにさらっとできるようになっていた。高校生が安全を感じられる環境で、少人数で学び合い、知的好奇心を満たしていく、自分の幸福の形が明確になっていく、喜んでいる様を見ることで私は満たされていたし、授業の改善、下調べを楽しく行っていた。
教育への怖さも感じている。ここが、私の詰まりの原因かな…
実子の幸せを願って意思決定を重ねてきたが、実子が私になにも言えない時期があった。それが、実子の大学受験で抱えた挫折感の一因になっている。
私自身に自分軸をもてる環境ではなく、実子の自分軸の育成ができなかったこと、私自身が実子を妊娠したときから解離をし続けていたこと、私の解離のパターンが実子に受け継がれている可能性があること。
追記
モンテッソーリ、ポリヴエーガル理論、トラウマ、ジェノグラム、境界線…
このあたりにどっぷり浸かると、整理が進む気もする。
この詰まりがある限り、私進めない気がする。どうしたものか…
以下の本を参考にしながら、トラウマが脳に及ぼす影響、脳のそもそもの機能、トラウマからの回復がどういう状態を指すのか、子ども時代の逆境体験指数、母親の解離は子どもに受け継がれる、境界線、これらの解像度を上げていくと、私の中の実子とのこんがらがりがよりクリアーになっていった。
参考「ポリヴエーガル理論」、「身体はトラウマを記録する」、「心の境界線 穏やかな自己主張で自分らしく生きるトレーニング」