公人(アイドル)私人(人間)の狭間で(シャニマス初心者備忘録)
アイドルマスターファン、そしてシャイニーカラーズのファンの皆様はじめまして。すのとPと申します。
「シャニマス 」を始めて3ヶ月以上経ち、ゲーム内の育成モードやPvP機能、そしてストーリーについて一通り触れてきました。結論から言うと、人生の中で触れてきたコンテンツの中で一二を争うほど夢中になっています。具体的には、生まれて初めてアイドルのライブに参加してみたり、アイドル達が着ている私服のセンスが良いと感じた事をきっかけに、アパレルブランド毎の服のデザインについて調べるようになっています。
この記事を書くことで、私プレイした上で感じた事をアイドルマスター、そしてアイドルそのものに関心がなかった人間の目線からアウトプットしていきたいと考えています。アイドルマスターを全く知らなかった人間がシャニマスの何に魅力を感じ、「沼」にはまったのかご参考にしていただけると恐縮です。また、アイドルマスターというIPが積み重ねてきた文脈について理解できてない事が原因で稚拙な表現と感じられる点がありましたらご教示いただけると幸いです。
「アイドル」を世界が作る物にしたくない(ストーリー面)
ストーリー面で1番印象に残った要素は、アイドル育成ゲームに分類される本作が芸能界という競争社会で頂点に立つ事よりも、個々人の内面的な成長をシナリオの中で重視している事にあります。
象徴的な例として、櫻木真乃というキャラクターのGRADモード共通コミュ(シナリオの意味)の中でプロデューサーが「変化する事は成長する為に絶対に必要な訳じゃない」と言ったシーンを挙げます。
このシーンに至るまで彼女は、引っ込み思案だった自分がアイドルになる事で世界を広げる事ができたと考えていました。本シナリオでは「応援してくれるファンの期待に応える」という望みを実現する為に、今より色々な事ができる自分、所属しているユニットの仲間と同じくらいすごい自分になりたいと考えた結果、仕事が空回りするようになります。一般的には変化したい、成長したいと考える思いは向上心の現れとして好意的に見られる事が多いと思われます。ただし、今回の場合、真乃は気づかない内に変わる事自体を最終目的に設定しまう事で、結果的に「食レポで気の利いた事が言える」ような世間が求める記号的、機械的なアイドル像として具体像として出力されてしまいました。彼女は実際に、彼女もアイドルになりたての頃からのファンから心配されるようになってしまいます。
櫻木真乃という人間は、作中で評価される事が多い歌唱力(歌声)だけでなく、仲間や他人の長所を、彼らが自分で気づいていないようなものでも見つける事ができるなど、他の人が持っていない人間的な魅力を沢山持っているにも関わらず、社会的に正当化されやすい価値観で有る向上心からくる焦りで自分の強さをすりつぶす一歩手前に陥ってしまいました。
話は少し移りますが、この時現実で「好きなことして生きていく」「圧倒的成長」といった謳い文句に釣られて人生を棒に振ってしまった人々が近年増えているという事を思い出します。
そういった言説を唱える有名人やインフルエンサーは、自分が成功者に見えるように、あの手この手で自分自身をブランディングしています。彼らのようになる事自体を目的とし、結果を焦り過ぎた結果詐欺まがいの行為を行い、それまでの人生で培ってきた能力も仲間も、自分の強さすらも失ってしまう悲劇はそれなりに増えているように見えます。私の親戚にも自分の人生について決める行為や、その判断基準を他人にアウトソースしてしまった結果、貧困に陥った人間が数名存在しています。
シャニマスのプロデューサーは、セリフ数が増えたのはここ一年で実装されたシナリオの中でしたが、「今までの自分を信じて、未来の姿を明確にしてほしい」と伝える事が一貫していると感じます。ここからさらに類推すると、「社会に迎合して、短期的な結果を出す為に間違った方法を選ばないこと。自分のなりたい未来を明確にする事が人として、そしてアイドルとしても誰にも負けない長所になる」という強い信念を持っていると推測できます。彼女たちの人生に寄り添う為に、時として彼は蕎麦配達のアルバイトを共に行い、「目の前の客に対する誠意」という要素で担当アイドルより優れた結果を出すことで成長のきっかけを作ることもありました。(なお、一般的な大人や教師のように、頭ごなしに精神論を解くのではなく、良いパフォーマンスに繋がると言う結果を自ら証明することでアイドルの理解を促したという点はいくら強調してもいいと考えている。)
努力は常に報われるものではない。そして「自分らしさ」が常に受け入れられない現実を知りながら、社会を無責任に批判するでも権力に靴を舐めるでもなく、目の前のアイドル達が活躍できるよう心を砕いている姿は、自分の強さを生かして自分の道を切り開くという、度々示唆されてきたアイドルとしてあるべき生き方をプロデューサー自身が手本となることでもアイドルを支えようとしていると解釈しました。
アイドルを輝かせるのは照明でも演出でもメイクでもなく、アイドル自身の生きてきた過程によるものなのだから。
アイドルが世界を輝かせる (イラスト編)
イラストについては実質的に門外漢であることから技術的な面について語る事が出来ず恐縮ですが、イラストの中でアイドル達は、美しい世界を一層輝かせる存在として描かれているという印象を持ちました。
一般的に、俗に言う所のガチャが主な収益源となるゲームにおいて、SSRとして用意されるカードはユーザーの購買意欲を煽るような、ギラギラした光と色を纏っている傾向があると思われます。キャラクターの魅力を引き出すために背景や演出がなされていると言い換えるべきかもしれません。シャニマスのSSRカードを見ていくと、空や花や雨のような自然物、ビルや電車のような人工物が現実の質感を失わないながらも美しく存在し、その中にアイドルが存在しているという構図が目立ちます。
一般的なゲームで見られるコメディチックなイラストも勿論あるのですが、総合的に見るとシャニマスはアイドルたちが演出や支えてくれる人たちだけの力で輝くのではなく、日常の積み重ねを写実的に、それでいて美しく描く事で彼女達は世界を輝かせるのだというメッセージをイラストに込めていると解釈しています。
*具体的なイラストが知りたいという方は、私が特に好きな「お散歩サンセット」、「清閑に息を潜めて」「まわる音色、君色のかおり」「10個、光」などを検索していただけると恐縮です。
現実とそう変わらない世界で『善く生きる』ために
「なりたい理想の自分」の形は自分以外の誰かが刷り込むものであってはならない、という問いかけが「ファンから何者かであるかという評価されること」が成功の暴力的な指標となるアイドル業界,そのアイドルを育成するゲームであるシャイニーカラーズから投げかけられた事に対して,私は過程を顧みない顧客・結果・成長至上主義へのカウンターという名の希望を感じています。
リアリティショーを題材に個人の発言がマスメディアに都合の良い形で発信され、公的なアイドル像と私的な自己像が乖離していく過程を描くこともあれば、環境問題、特にSDGsの概念を明示しながら、綺麗事を信じられない人々を切り離さない方法を示唆することもあるなど、シャイニーカラーズという作品は、創作物で示された価値観を現実に当てはめる事が野暮だという一般論を踏まえたとしても、私たちが生きている世界の流れとそう変わらない中で、一人の人間として公的な物も私的な物も大事にしながら生きていこうとする姿を真摯に描こうとしていると感じ、深く共感しています。
表現手法としてはカズオ・イシグロ氏の作風と似ている面があると考えながら、私の世界を大きく広げてもらったシャニマスへの感想をここで終えたいと思います。
一応Twitterアカウントも作ってあります。気が向いたら何かしらの創作物をあげていくかもしれません。
@sPllc4ZagojXNye
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