苦しんだ先の新たな門出
思い返せば、息子の反抗期に苦しんで10年。浪人生としての息子の1年は、想像を越えるほどの苦しみだっただろう。そして昨年の春分の日、この家を出て新たな生活のため、息子は出発した。同時に、私と息子の長い長い戦いも、あっけなく終わりを迎えた。(トラウマのように残る気持ち、まだまだ油断は禁物だが)息子の言動と行動が辛く、「早く家を出ていってほしい」と毎日願っていたのに、なぜか寂しい。昨日はちゃんと眠れただろうか、ご飯は食べられただろうか、そんな親心は、1年を過ぎようとした今でも、私は抱いている。
さぁ受けてこいの二月
高3の時の息子は、2つの私立と国立前期を受験した。1つの私立に合格したものの「行きたくない」と言い出し、なんの保証もないまま国立を受験、一日目の息子の表情からダメだったことを察した。そして翌年、私立を3校5学部と前の年受けた国立、そして国立後期まで、願書を出した。親としては、どこか受かってくれれば、そんな願いだけだった。
2月に入り受験が始まった。高3の受験の時は、声もかけられなかったほどの酷い顔をしていたが、1年経ち、ほどよい感じの気の抜けかたをした顔になっていた。夜になるとネガティブなことばかりを言っていた数ヶ月だったが、私に対する態度や言動も少しソフトになった気がした。そして、私立2校4学部の受験が終わり、ここは絶対受からないだろうの私立大学に合格した時、息子は「この学校に行きたい。残りの私立と国立は受験しない」という選択をし、浪人生活は終わりを告げた。
長い長いトンネル
我が家はいつも、自身の選択。それは、何かにつまずいた時に、親のせいにされたくないと私が強く思うから。だから、息子がこれから先の人生で何かにつまずき、いつもの調子で私を攻撃してきたとしても「あなたが決めたことでしょ」と防御の鎧の言葉をいつも装着していられるのだ。
子育ての長い長い、そして暗い暗いトンネル。すこしだけ光がさしたように思う。行く道さえ分からず、立ち止まり続けた私の子育て人生も、その光を頼りに前へ少し歩けるような気がしている。
息子の引っ越しが終わった後、我が家の台所には、ポップコーン作りに失敗したんだろう、コゲた鍋だけが残ってた。「あの子らしいわ」とコゲた鍋を磨きながら、反抗期終了かなと少し気を抜いた私だったが…
コロナ禍が続いた1年またまたいろんなことが起こる。私に子供は一人しか与えられなかったが、何人分の子供の悩みを抱えるのだろう。
「人生って面白い」
書きかけの文章を1年放置していたら、書き終わりが少し明るいと今気づく。