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壺の中で話したくなかった話
かれこれ20年以上前だけど、匿名掲示板をよく使っていた。
正確なタイトルは覚えていないけれど同性愛のカテゴリの中で歳の差カップル話題のスレッドがあって、乗っかってみた。
自分の中で最初の彼氏と出会った頃、自分はハタチそこそこ。彼氏は大正生まれ。付き合い当時は60代後半だった。正確にカウントすれば49歳差。ざっくり言って50歳差だった。
ネット以前は隔絶された世界観だったので、珍しいかもしれないけれど、他にも居るだろうくらいの感じで気軽に書き込んだ。心の奥底ではくだらない顕示欲もあったのかもしれない。それは反応を見てから気がついた。
「看取ったの?」
「死んだ時に泣いた?」
ネットであれば、そりゃそうだろう。全てのニュアンスを削った反応に目が覚めた。
お前らになんでそんな形で話さなきゃいけないんだ。ふざけんな。
消費する気満々の反応に晒されて、気がついた。不快だ。安易に話すべきことじゃ無いと心に誓った。
以降は、気心知れた本当の友達と言えるような人しかプライベートを語らなくなった。
しかし、話すことができる友達や恩師、知人がコロナ禍でバタバタと逝ってしまった。特に堪えたのは自分より若い人でさえ居なくなってしまった事だ。
どうやら自分は自分が死んだ後もきっとそんなオケ専自虐エピソード込みで笑って思い出してもらえると期待していたようだ。
個人史として話したい事はたくさんある。けれど、自分語りほど聴かされてつまらないものも無いと知っている。
切り出して行こうにも、いつの間にかどこから話せば良いのか分からない分量になっている。そりゃそうだ、もう年齢は終活を考える世代だ。
当初は反自伝的な漫画にしてみようと思っていた。今でもどこかでその思いはあるけれど大きすぎる。整理する作業が必要だ。
そう思ってからもどんどん時間は過ぎていく。とりあえずは、そんな焦りを書いて、今日は初めの投稿としてみようと思う。
※「壺」とは2ちゃんねるの隠語的表現で、トップページが壺画像だったことに由来しています。