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頭と体が動くうちに、どうしてもやらなけばならないこと!

 安倍晋三という人物が人生の最後に最高の勲章と国葬で送られた。自民党政治が続く限り、嘘にまみれた歴史が固定されてしまう。それを阻止するために、森友改ざん裁判で国が認諾してまで隠したかった真実に辿り着いた調査結果を残す。

 国が本当に隠したかったのは、改ざんを誰が支持してどのように行われたかという改ざん本体の話ではない。
 赤木俊夫さんをいかに殺したかが国民に知られると、「内閣が吹っ飛ぶ!」どころのことでは済まされない。日本社会に与える影響は計り知れない。以下、私の調査結果を報告する。

 赤木俊夫さんの死について、「改ざんを強要された事を苦にして自殺した」という説明句がつくことが非常に多い。これは間違いです。赤木さんが改ざんに手を染めた事を苦にしていた事自体は間違いありませんが、これで死ぬようなことは無かった。
 苦行を逃れるために希望していた人事異動が叶えば、後悔が残ったとしても、命を断つようなことはなかった。しかし希望は叶わなかった。政治の力による意図的人事操作が行われたからだ。赤木俊夫さんただ一人を異動させず、他全員異動という不可解な決定は何故なされたのか。
「赤木ファイル」に答えが書かれていました。「赤木ファイル」に記されている最終日付は2017年4月17日。その数日後、「赤木ファイル」を任意提出された大阪地検特捜部は、悪魔(安倍魔)に魂を売り、超重要証拠を黒川弘務法務次官を経て官邸に差し出した。そして「赤木ファイル」を隠蔽したまま、官邸の敵・赤木俊夫追い詰め作戦を開始した。

赤木ファイルの最終メール

「赤木ファイル」については俊夫さんが雅子さんにその存在を告げていたが、どのようなものか具体的には知らされていませんでした。その存在がはっきりと裏付けられたのは、俊夫さんが亡くなって1周忌の2日後の2019年3月9日のことでした。赤木俊夫さんの直属の上司で改ざん作業当時に近畿財務局で統括国有財産管理官だった池田靖氏が証言の主でした。弔問に訪れた池田氏は雅子さんとの会話の中で、次のように告白したのです。

「パッと見ただけでわかるように整理されている。これを見たら我々がどういう過程で改ざんをやったのかが全部わかる。赤木さんもそこは相手が検察なんで気になって『出しますか?』って。僕は『出しましょう、全部出してください』と言って持っていってもらったんです」

近畿財務局・統括国有財産管理官

2017年4月、赤木俊夫さんから「赤木ファイル」を大阪地検に出すべきか相談を受けた池田靖氏は「出しましょう。全部持っていってもらい、判断してもらいましょう」と後押ししました。官邸から見れば池田氏は俊夫さんと共犯、排除すべきだと思う敵と言えるでしょう。
 世に知られると「内閣が吹っ飛ぶ!」ほどの超重要証拠を持ち帰った大阪地検特捜部は正しい判断をすれば、後世に残る仕事をできたのに、安倍マジックに騙されて、大犯罪組織の汚名を着てしまったのだ。
 ここで、どうしても疑問が残ります。池田靖氏は何故、赤木俊夫さんの死後すぐではなく、1年後に告白したのか? 池田氏も大阪地検と同様に「赤木ファイル」の存在を隠蔽したままでも良かったのではないか? 敢えて共犯者の名乗りをあげて、官邸の敵になる必要があったのだろうか。いや、池田氏は何か考えがあって告白したのではないのだろう。 改ざん事件では38人全員不起訴になり、財務省的には処分も済んでいる。池田氏自身も口頭厳重注意を受けている。ということで、池田氏の発言がその一年後に週刊文春のスクープ記事になるとはまさに青天の霹靂だった。
「赤木ファイル」が官邸に渡った2ヶ月後の2017年6月23日に近畿財務局の人事異動の内示がなされた。
そして赤木俊夫さんひとりを残して改ざん関係職員全員が異動となった。その上、森友学園の土地取引書類も全て何処かに移動された。
 赤木俊夫さんは大変なショックを受け、メンタルクリニック受診の結果、うつ病と診断された。
 正義感が強く、多趣味で陽気な赤木俊夫さんを官邸・財務省(近畿財務局含む)・大阪地検が組織をあげて追い詰めて、改ざんという大犯罪を隠ぺいする作戦の第一段階は終わった。そして改ざんを指揮した佐川宣寿は国税庁長官に栄転という褒美をもらった。
 相澤冬樹氏は赤木俊夫さんの自殺について、過重労働による公務災害などではなく、国による「間接殺人」だと指摘しています。私は「準殺人」と言ってもいい犯罪であると断言します。本人の心身の状態に気づかず、結果的に死なせてしまったわけではなく、意図的に追い込んで殺してしまったのです。
 改ざんのリーク、そして赤木俊夫さんが「全ては佐川局長の指示」「朝日新聞の報道はその通り」などと書かれた手記や遺書を残したことで大スキャンダルに発展しました。
 赤木俊夫さんが亡くなった翌日、弔問に訪れた近畿財務局の楠管財部長は遺書を見せてくれと雅子さんに迫ったという。国側の手下になってしまった楠氏は「まずいことが書かれていては困る。マスコミに漏れてはこれまでの赤木俊夫対策が裏目に出て、とんでも無いことになる」と小悪人の動揺を隠せなかった。

大阪地検特捜部と結託して赤木俊夫さんを追い詰めたのち、異例の      厚遇で天下りした。

 官邸から指示された異常な理不尽人事の現場作業員・楠 敏志氏を尋問すれば多くが解明される。こんな人事は忖度などで行うことはあり得ない。自分の敵はどんな手を使ってでも排除するという(河合夫妻選挙違反、学術会議任命拒否等)安倍晋三の命令があったと考えると合点が行く。この時点では、佐川宣寿は理財局長であったので、官邸は改ざん同様、佐川から近畿財務局に指令を出させた可能性はある。
 赤木雅子さんが起こした裁判でこの理不尽な人事操作への言及はなされなかった。ここを追及しなくてどうすると言いたい。楠管財部長は「ボス」と読んでいた美並義人近畿財務局長と組んで官邸の手先(出先ではない)となり理不尽人事で活躍した。天下り先の神戸信金前で、赤木雅子さんと相澤冬樹氏の直撃を受けた時の狼狽え方、そして「警察を呼ぶ」と言って本当に呼んだ行為から察すると、余程、逃げたいほどの悪事を働いたと思われる。美並義人局長に至っては、東京国税局庁を経て日本郵便の専務に天下りした際に、「改ざんは知らなかった」と大嘘をついている。全責任は自分が取ると言って部下に改ざんを命じた張本人の言葉である。楠敏志が小悪人なら美並義人は大悪人だ。

改ざん後、東京国税局長に栄転。
そして、日本郵便専務に天下りした

そして、もっとも悪どい事をしたのは、大阪地検・山本真千子特捜部長だ。酒豪で独身、マスコミのウケも良かったと言われた人間が黒川弘務法務次官(官邸の守護神)の命を受けて検察の正義をあっさりと捨ててしまったのだ。
 大阪地検特捜部が「赤木ファイル」を握り潰して、赤木俊夫さんを単独犯に仕上げるストーリーを作り上げたことは、2020年3月26日発売の週刊文春の通りで、この記事を読んだ事情通が、「赤木さん殺しの真犯人は山本真千子だと、ジャーナリストの本澤二郎氏に電話をかけてきたという。また、森友事件でもう一方の主役で悪役扱いの籠池夫妻も自身のyoutubeチャンネルで、「赤木ファイル」を国に差し出した張本人として山本真千子を名指ししている。

大阪市立大学出身
女子として初の大阪地検特捜部長、検事正という異例の出世となった。

本澤氏は同じ日のブログで次のように言い切っている

<大阪地検は正義の検察ではない、大出世の山本>
 真実を吐露した犯罪事実を隠ぺい・握りつぶした山本・大阪地検は、安倍ー黒川ラインを狂喜させたに違いない


 週刊文春 の記事が事実なら、大阪地検はとんでもない犯罪行為を行ったことになる。少なくとも在阪の司法記者クラブは大阪地検に記者会見を要求し、山本真千子を追及しなければいけなかった。もう安倍晋三は総理大臣を辞任しているのだから、やれば良かったのにやらなかった。文春の記事だけでは、要求しても事実無根として無視される可能性があったかもしれない。だが、この記事が出た
6 か月半後の2020年10月14日
池田靖氏の音声データがマスコミに公開
 、テレビ各局はニュースにしたが大阪地検を追及する動きにはならなかった。
TBS「報道特集」でも「赤木ファイル」が大阪地検に渡ったことを伝えた。

フリージャーナルリストやSNSでは大阪地検の犯罪が赤木俊夫さんを追い込んで殺したと指摘する記事や投稿が見られたが、新聞やテレビ各社は「国が赤木ファイルをあるともないとも言っていない」などという報道は繰り返しなされたが、大阪地検に渡った「赤木ファイル」が国から開示された事への疑問を呈する報道は見られなかった。

開示された赤木ファイルと
赤木さん日記帳

 大阪地検は「赤木ファイル」を握りつぶしただけでも相当悪いのに、なんと捜査の手を佐川等に向けず、本来なら勇気ある内部告発者として、保護した上で、感謝しなければならない赤木俊夫さんを罠に嵌めたかのように追い詰めて、単独改ざん犯にするストーリーを描きあげ、赤木俊夫さんに恐怖を与え、うつ病を決定的に悪化させ、最悪の結果に導いた極悪組織になってしまった。赤木俊夫さんは妻の雅子さんにこう告げた。2017年12月25日のことだった。

今日、とうとう検察から電話きたわ。ドクターストップがかかっていたのに。
 検察は恐ろしい所や。

「私は真実が知りたい」より

執筆作業継続中

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