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さまよう赤木ファイル・大阪地検はどう動いたか

大阪地検特捜部が赤木ファイル」を手入れた後、
近畿財務局は理不尽な人事操作をした!

近畿財務局長・美並義人は東京国税局長に栄転し、更に日本郵便の役員に天下った。
就任にあたって、親会社・日本郵政の社長で元総務大臣の増田寛也には、改ざんは
知らなかったと大嘘を吐いた。実際は「私が全責任を取る」と言って、赤木俊夫さん
に改ざん作業をさせ、うつ病になった俊夫さんを気遣うどころか、産業医の前久保
邦明を使い、俊夫さんを詐病扱いし、大坂地検特捜部・久保田明弘検事に無理な取り
調べをさせ、俊夫さんの鬱病を決定的に悪化させ、最悪の結果を
招く原因を作った。
赤木俊夫さんの主治医である岩井圭司医師は取り調べをした大阪地検の久保田検事にへの憤りを
隠せません。

改ざんについての責任を取らずに
日本郵便専務に天下リ

 開示請求されても有るか無いかすら答えなかったのは何故だろう。有ると言えば出さなきゃならないし、無いと言えば嘘になる。黙っているほかなかった。ただ一人最後まで改ざんに抵抗した赤木俊夫さんは、518ページもの改ざん証拠ファイルを残しました。そしてファイルは大阪地検特捜部に渡りました。森友学園の土地取引で異常な値引きがされた問題で、すでに地検の捜査が近畿財務局に入っており、立ち会っていた赤木俊夫さんは一緒にいた直属の上司である池田靖統括国有財産管理官に「これはどうしましょうか」と初めて赤木ファイルを見せました。池田氏はドッチファイルに綴じられた内容をパラパラっと見て驚きました。改ざんの経緯、改ざんのビフォー・アフターだけでなく財務省本省とやりとりしたメールのコピーも添付されていました。「佐川局長から直接指示がありました」(国有財産審理室・杉田補佐からのメール)「出しましょう!みんな持っていってもらい地検に判断してもらいましょう」 池田靖氏は躊躇することなく赤木さんに答えました。こうして重大な国家犯罪の決定的証拠を、そう、大阪地検は自らの捜査では見つけることが出来なかった“宝物"を任意提出されました。それはいつのことだったのだろう。それを知っているのは、赤木さん、池田氏そして大阪地検特捜部です。こうして赤木さんは財務省の歴史に残る内部告発者になりました。この時点では池田氏も共犯でした。私は正確な日付を突き止めてはいませんが「赤木ファイル」のメールコピーの最後の日時は2017年4月17日です。この日の後も改ざんは行われていますが、その日のメールは赤木ファイルには入っていません。

2017年4月17日 
財務省国有財産審理室・杉田補佐からのメール

 私の結論は2017年4月18日から5月13日のある日、赤木ファイルは大阪地検に移動しました。以下に改ざん年表から関連部分を抜粋しました。

改ざん年表抜粋

いったい大阪地検の誰がいつ、決定的証拠「赤木ファイル」を持ち帰ったのか、現時点では不明です。
 ただ一番遅くても2017年5月13日です。そして同年6月23日、近畿財務局管財部の人事異動が内示されました。そこに赤木俊夫さんの名前はありませんでした。それだけではありません。改ざんに関与した赤木さん以外全員が他部署に異動したのです。赤木さんが異動を強く希望していたのに何故だ!一人取り残された俊夫さんは大きなショックを受けました。そして7月15日精神科を受診し、うつ病の発症が告げられました。5日後の20日から赤木俊夫さんは病気休暇に入りました。

 私はTBSで20年以上報道に携わっていました。赤木ファイルのコピーが赤木雅子さんに渡されたと時、各メディアは一斉に大きな扱いをしましたが、ファイルがどこに保管されていたのかということを報じた社は皆無でした。こんなことも取材・追求しないようではジャーナリズムを名乗る資格はありません。これは森友改ざん事件の核心を突くポイントです。
私は、「赤木ファイル」は相当早い時期に、大阪地検から黒川事務次官、そして財務本省から総理官邸へと流れたと見ています。

 大阪地検が赤木ファイルを持ち帰った後異常な人事異動が発令されました。この事実から何が類推されるでしょうか。そう官邸からの指示です。このことを裏付けるためには、楠管財部長(当時)に証言させなけたればなりません。
 


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