さまよう赤木ファイル 第2回
大阪地検から財務省へパス!
2017年4月下旬、赤木俊夫さんは、直属の上司・池田靖統括国有財産管理官に相談、了解を得て、「赤木ファイル」を大阪地検に任意提出した。
すべては安倍官邸の指示だった!異常人事に始まった「赤木俊夫抹殺計画」
謎がどんどん解けていく!
「赤木ファイル」は語る。
『トッちゃんの心の支えは、七月の人事異動で担当部署が変わることだった。そうすれば、森友関連の苦行から逃れらる。上司の池田さんには内々に「動かしてもらえるよ。大丈夫だよ」と言われたと話していた。
ところがふたを開けてみると、六月二十三日の内示の日、トッちゃんは異動しなかった。それどころか、同じ職場の人は池田さんも含め全員異動するのに、トッちゃんだけこの職場に残される形になった。
しかも、さらに追い打ちをかける出来事があった。問題の国有地の売買に関する資料がすべて処分されて職場から消えていたのだという。
rそれがとにかくショックやった」とトッちゃんは話し、すごく落ち込んでた。一人だけポツンと残されて、資料はすべて処分されて••••••あんまりだと思う。』
(「私は真実が知りたい」P41)
こんな理不尽が何故起きたのか?
それは2か月前2017年4月下旬の出来事。大阪地検特捜部が近畿財務局を訪れた時、俊夫さんは上司の池田靖氏に相談した上で(池田靖氏の音声記録あり)「赤木ファイル」を任意提出した。その内容は山本真千子特捜部長から黒川弘務法務次官を経由して官邸に伝えられた。
「これが世に知られれば、内閣が吹っ飛ぶ!」
「赤木の口封じ」に動いた官邸は、内部告発者つまり政府にとっての裏切り者を単独改ざん犯に仕立て上げ、最終的には司法取引で不起訴にする代わりに改ざんに蓋をするシナリオを描いた。
官邸は、赤木俊夫さん以外の職員は佐川宣寿の指示通り動いていたが、俊夫さんだけが強く抵抗していることは知らされていた。
「赤木ファイル」の存在を官邸から知らされた美並義人近畿財務局長は謝罪して、後は官邸の指示に従った。
美並義人局長は楠管財部長に事情を説明して官邸からの指示どおりに動くように命じた。
次の人事異動で俊夫さんただ一人残し、ほかの改ざんチーム全員を他部署に異動しただけなく、森友関連文書を全て隠してしまった。本来なら、値引きと改ざん両方に関わった池田靖氏を残すべきである。
「赤木ファイル」が大阪地検に渡った後の2017年5月14日(日)にも改ざん作業が行われたことは「私は真実が知りたい」の37~38ページに雅子さんの鮮明な記憶として記されている。6月14~16日には4月に引き続き再び会計検査院が近畿財務局に入ったことが、2020年3月18日付の訴状PDF19ページに明確に記されている。当然ながら、4月に地検に渡った「赤木ファイル」にはその両方の記録が無い。
6月28日に大阪地検特捜部が近畿財務局に入ったことが赤木俊夫さんの手帳に記されていたため、この日「赤木ファイル」が地検に渡ったと見られていたがそれは大きな間違いだった。
几帳面な俊夫さんが、5月14日の改ざん、6月14~16日の会計検査院という重要事項を書き漏らすことは考えられない。「赤木ファイル」に記録されている最終日付が4月17日の杉田補佐からのメールであることから(赤木ファイルPDF3ページ目)、4月下旬までにファイルは大阪地検に渡ったと見て良い。これなら6月23日の理不尽人事の説明がつく。近畿財務局だけの判断で行われたとはとても思えない。官邸の指示がなければ、このような人事が行われるはずがない。
悪事を隠すために、異常値引きでは谷査恵子を、そして改ざんでは中村稔を海外に逃した実績から言えば、官邸にとっては近畿財務局内だけの簡単な人事操作である。
人事で取り残された赤木俊夫さんは、大きなショックを受けた。
そして7月15日「うつ病」の診断を受け、7月20日から病気休暇に入った。3か月が経過し、休職になった俊夫さんは、収入が減ることを気にしていた。
そして11月17日、大阪地検から近畿財務局に赤木俊夫さんへの事情聴取の要請があった。11月28日には、近畿財務局と共謀した産業医・前久保邦昭医師は俊夫さんを詐病扱いし追い詰めた。
そして忘れもしない12月25日、「赤木ファイル」を握りつぶした大阪地検の久保田明広検事が俊夫さんのうつ病を決定的に悪化させた事実上の事情聴取を、主治医岩井圭司医師の忠告を無視して行った。(赤木手帳に記録あり)
この時点では「改ざん」は世間では全く知られていなかったことから、大阪地検は「赤木ファイル」をもとに尋問したのは明らかだ。
久保田検事は俊夫さんを「改ざん」で問い詰めているのだ。本来なら正義の内部告発者に感謝し、捜査の手を財務本省理財局(赤木メモで刑事罰を受けるべき者と実名が挙げられている人物)に向けるべきであったのに、官邸・黒川の指示とは言え、このような超理不尽な行為を行った大阪地検特捜部(山本真千子特捜部長)こそ刑事罰を与えなければならない。2010年の証拠改ざんで懲戒免職3名を出した大阪地検特捜部は、その反省が全くなく、出世と言う口封じを受け入れ、懲戒免職どころで済まされない超大罪を犯した。日本の司法の歴史に於いて単に汚点という言葉では片付けられない正義の大崩壊、不正の大噴火である。
この日以降、赤木さんは検察を恐れるようになった。
「僕は職場に復帰したら検察に呼ばれる。検察は恐ろしいとlころや。横暴なところ。何を言っても思い通りの供述を取る。検察のストーリーから逃げられない。検察はもう近畿財務局が主導して改ざんしたという絵を描いている。
僕が何を言っても無理や。
本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。僕は犯罪者や」
(「私は真実が知りたい」P.44)
ここで疑問符が残るのは、久保田検事は果たして「赤木ファイル」そのものを見ていたのだろうかということだ。見ていたのなら、矛先は財務本省、佐川宣寿に向けられるべきだ。久保田検事は山本真千子特捜部長の話を信じて「赤木ファイル」を見ることなく罪を犯したのではないか。
3018年3月2日、朝日新聞が改ざんをスクープ。
3月7日、休職明けのテスト出勤の日、赤木俊夫さんは出勤せず自宅で命を絶つ。主治医岩井圭司医師の意見を無視して近畿財務局の産業医(精神科)は出勤させようとした。
3月12日、財務省は改ざんを認めた。後に発表された報告書では、財務大臣は関与せず、佐川宣寿の独断で改ざんが行われたとされている。誰がこの説明を信じるのだろうか。
麻生太郎と言う人物の性格は誰もが知っている通りだ。自分の知らないところでこんなことが行われていたのにもかかわらず、大して怒りもせず「それが分かれば苦労はしない」(2018年6月4日発言)などと落ち着き払った態度で甘い処分で済ませたことは不自然の極みである。佐川宣寿は懲戒免職、麻生財務大臣は引責辞任が妥当である。
麻生発言に先立つ2018年5月31日、大阪地検・山本真千子特捜部長は佐川ら38人全員不起訴を発表し、異例の言い訳会見をした。「佐川宣寿は嫌疑不十分」だと言う。誰が納得するだろう。「赤木ファイル」は完全に隠蔽された。
検察の捜査で不起訴にされた人間を財務大臣が処分することも疑問だ。さっさと処分を出して終わりにしたいことが見え見えだ。
国が認諾してまで隠したかったことはこういうことだったのだ。
人事については美並義人氏が、「赤木ファイル」の提出時期については池田靖氏が真相を知っている。美並義人氏は「全責任を負う」と言い改ざんを命じたが、責任を取ったとは言い難いだけでなく、なんと「改ざんを知らなかった」と言って日本郵便に天下りした。
大阪地裁は決定を取り消し、両名の証人尋問を認めるべきである。付け加えて山本真千子、久保田朋広両名の調べは必須だ。
これで、被告の国が1年以上にわたって「赤木ファイル」の存否を曖昧にしてきた理由がはっきりした。
あると言えば、開示しなければならない。そして何処にあるのかに答えなければならない。大阪地検に渡ったことは確実なのに、握りつぶして、38人全員不起訴にしたのだから、なんとか誤魔化さねば、せっかく出世したのに刑務所行きになる。有難いことに大手マスコミはそこを突っ込んでこない。もう大丈夫だろう。
「赤木ファイル」の存在は池田靖氏の証言が音声で残っている。
「森友学園を厚遇した事実はない」と言う俊夫さんの記録を見つけた国側は開示に踏み切った。
そして未だにマスコミは大阪地検の大罪を追及していない。
赤木俊夫さんの弔問に訪れた楠敏志管財部長(この時点では異動していた)は「あと1~2週間待てば良かった」という主旨の発言をした。待てば何が起こったのだろう?
雅子さんは死んだ後にそんなこと言われてもと返すと楠氏はそれ以上話さなかった。今一度聞く必要がある。楠氏は天下りの厚遇など疑惑満載の人物だ。
「私の雇い主は国民」と言い国家公務員倫理カードを常に持っていた赤木俊夫さんを官邸、財務省、大阪地検という極悪連合が死に追いやった。雅子さんが「夫は国に殺された」と主張するのはもっともな話だ。
検察の辞書にもはや正義という言葉は存在しない。
裁判所が正義の砦になるか、今、国民が注視している!