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鈴木元氏がfacebookに3月1日シンポジウムでの発言の予定稿を公開

3月1日「革新・共同の流れをどうして再生するのか」のシンポジウムについて   
           2月21日 鈴木元
はじめに
 拙著「革新・同党宣言(試論)」を2月17日から書店での発売を開始した。
そこで3月1日に「革新・共同の流れをどうして再生するのか」のシンポジウムを京都市の「ハートピア京都」で2時30分から開始する。多くの皆さんの参加をお待ちしています。

⒈パネラーは当初、私・鈴木元、碓井敏正さん(京都橘大学名誉教授)、木戸衛一さん(大阪大学招聘教授)、西郷南海子さん(教育学者)を予定していました。
その後、西郷さんが7月の参議院京都地方区において「れいわ新選組」から立候補されることになりました。そこで西郷さんから「特定政党の候補者となったのでパネラーは下ろしていただいて、一参加者として参加させてもらいます」との申し入れがあり、パネラーは鈴木・碓井・木戸の3名となりました。よろしくお願いいたします。

⒉シンポジウムでの鈴木元の問題提起 
 2025年3月1日 鈴木元、国際ジャーナリスト 元・共産党京都府委員会常任委員

最初に、本日のシンポジウムに参加していただいてありがとうございます。拙著「革新・共同党宣言」を読んでいただいていることを前提に追加的なお話しをします。それでも15分の持ち時間では無理なので、少し詳しい要項をお配りし、話はその中のいくつかを語ることにします。

⑴党歴60年での除名とその後(口頭では出来る限り省略)
①高校1年生の時、「60年安保」に遭遇した。社会問題に目覚め18歳となった3年生の時に共産党に入党。立命館大学の学生時代、日本で最初の部落解放同盟の大学介入と闘い打ちやぶり、マンモス私学で全学自治会(学友会)を唯一民主化した。大学紛争を命がけで闘い、学園からの暴力一掃を成し遂げ、1000名の党員3000名の民青同盟を迎える。
②共産党京都府委員会常任委員として1980年、当時の参議院京都地方区(2名区)で神谷信之助を当選させる。1979年、衆議院京都一区(中選挙区の5名区)で梅田勝本部長として、藤原ひろ子と複数当選を果たす。1993年のちに党国対委員長になった穀田恵二氏の本部長として市会議員から衆議院議員にトップ当選させる。
③その後、家庭の事情でかもがわ出版や立命館に奉職。立命館で管理職となった直後に妻が倒れ精神障害一級となる。新しい仕事を覚えることと妻の介護の両立を追求するという困難に遭遇。そのため党活動は最小限にとどまらざるを得なかった。ところが15年前、居住地で共産党後援会の再建の取り組みが始まり協力し、府下最大の後援会(200名)の会長に祭り上げられた。私の家で後援会役員会を開催してきたが、全国的な労働組合の委員長経験者2名、党の県副委員長経験者が1名いたので、レベルの高い討議となった。またそのころから京都高齢者大学校(約1000名の受講者)の副責任者となり時事問題の講義を担当するようになった。そうした経過の中で私は専従時代に感じていた共産党の問題点について改善されるどころか、より一層、酷くなっていることに気が付き、事あるたびに志位委員長をはじめとする三役など7名の幹部に長文(10000字程度)の手紙を送って来たが返事は無かった。そのため、これ以上改革が行われなければ共産党は国政レベルでは取るに足りない勢力となるとの危機感から2023年1月「志位委員長への手紙」(かもがわ出版)を出版した。
④同じころ元中央委員会政策委員会外交部長であった松竹伸幸氏は「シン・日本共産党宣言」を出版し、2023年2月6日除名された。続いて3月16日、私が除名された。いずれの本においても党首公選制の導入を提案していた。それに対して志位指導部は「党と異なる意見を党外の出版物で発表した」ということを重要な除名の理由とした。「選挙で敗れたり、党勢を後退させたり、あまりにも長く党首を続けている」などの党首のあり方「責任を取って辞めるべきである」「後進に道を譲るべき」などは共産党の内部問題ではなく、公党として他党を含めて政治的・社会的問題であり、マスコミを含めて広く社会的問題になっている。処分を決める京都府委員会常任委員会(全員が昔、私が指導していた人か、私の知人の子供たちであった)の会議では寺田副委員長が質問・追及文書を読み上げたのと、渡辺委員長が一言述べただけで他の常任委員会は一言も述べなかった。私は寺田氏に対して反論するとともに、終わるに当たって「このような除名を強行すれば、来る統一地方選挙は勝負になりませんよ、止めておきなさい」と警告した。そして2023年4月に行われた統一地方選挙で県会議員・政令指定都市議員選挙で2割の議員が落選し、全体で135名の議員が落選した。24年の衆議院選挙では10名から8名となり、5年前に出来たばかりの、れいわ新選組(3名から9名に)よりも少なくなった。党勢は党大会後も減り続け赤旗日刊紙の発行で年間10億円の赤字を生み、発行継続のために全党に10億円の寄付を訴える状況に至っている。
⑤ところで1970年代中期・後期において民主集中制について批判的検討を提起した藤井一行、田口冨久治、加藤哲郎等にたいして共産党は徹底に批判し社会的抹殺を図った。それに対して今回、松竹・鈴木除名問題はマスコミを含めて共産党は社会的に大きく批判され、党内においても大きな動揺が生まれている。何が、何処が違うのであろうか。①一つは日本社会の民主主義的成熟があると考えられる。1970年代中期・後期においては共産党内部の問題として扱われ、我が国の民主主義の在り方にかかわる問題として国民的問題にはならなかった。しかし今回は、このように異端排除をする政党が政権に付けば日本の民主主義に取って良くないという批判・拒否反応が国民的に広がった。②田口氏等は毎日のように赤旗で批判されても反撃の術がなかった。しかし今日、インターネットの広がりによって松竹氏も私も専用のブログやフェイスブックなどを立ち上げ、国民にたいして直接、自らの考えを広げることが出来た。そしてそれを読み共感した人々が、自らのSNSで拡散していただくような事が起こった。革新陣営において赤旗だけが世論形成を担うという時代で無くなっている。志位指導部はこの二点についてきちんと検討出来ず、松竹氏の除名と関わって連日のように赤旗で批判論文を発表したが藪蛇であった。そのため1カ月後の私の除名に関しては、日刊紙の2面で小さく報じただけで日曜版では除名したことさえ報じなかった。そのため知らなかったのであろうが中央の財政部は以前からの寄付者名簿に基づいて、私に「寄付の訴え」を送ってきたので、私が送金したところ返金せず、領収書を送ってきた。

(2)改革、新党結成を巡って
①残念ながら志位指導部は自らの特権を守るために党首公選制などの改革を行うことはないだろう
②新党の結成は難しく、例え出来ても線香花火で終わる可能性がある
③そこで私は今回の本で、日本の政界を革新・共同の方向で改革を担う政党はどういう政党なのかを国民的議論を開始しませんかと提起した。

⑶改革の方向と綱領・規約の案の提起
①先進国で「革命」はあり得ないし、追求することは危険。国民的合意に基づき、暫時の改革(改良)の積み重ね、それも前進・後退を繰り返しながら進むであろう。
②アメリカとイギリスを除いた先進国では単独政権はありえなくなっており、連合政権時代の政党のあり方の探求が遅れ、共産党も連合を追求するのか、「革命」を目指し孤立した党で行くのか揺れ動いている。それが安保・自衛隊政策のゆれとなっている。連合政権では安保・自衛隊容認を言い「革命政党」では安保破棄・自衛隊廃止と主張。連合時代の政党の構成員は政策的確信・所属意識の流動化が進む。
③革新・共同を貫く普通の民主主義の党となるためには、時代的制約性のある特定の理論である科学的社会主義を理論的基礎とすることをやめ、組織原則としての民主集中制を放棄しなければならない。
1970年代中期である1976-77年、立花隆は「文芸春秋」に「日本共産党の研究」を連載した。そこでは「暴力革命」=「プロレタリア独裁」=「民主集中制」の三位一体と言い、「共産党が平和革命や複数政党制を言っても民主集中制を放棄しない限り信用できない」と主張した。共産党が平和革命路線・複数政党制を取っていることは明確であり、立花の主張には無理があった。しかし民主集中制を採用していることが少数者による指導部独裁の党運営となり国民的政党としての発展の障害となっていることは明白。先に書いたように科学的社会主義・民主集中制そして専従職員中心の党運営・機関紙中心の党活動を止めない限り共産党が国民政党となって革新・共同の流れを牽引する政党にはならないだろう。
④討論のたたき台として綱領案骨子を提案した。書物の形で提案したものはほとんどないと考えられる(時間があるかぎり、補足)
読んだ人が気づかれたかどうか分からないが再分配にとどまることなく、パイを広げる経済政策が必要だという見地。
 失われた30年で日本のGDPは停滞したまま。その中で格差が広がっているのであるから再分配機能の強化は必要。野党の経済政策を見ると基本的に再分配政策に終始している。しかし国民所得を増やそうとすると再分配だけではなく、そのもとになるGDPの拡大が必要という見地。
日本のGDPはアメリカに次いでいたが2010年に中国に抜かれ3位になった。2024年にドイツに抜かれ、今年はインドに抜かれ、近くインドネシアにも抜かれ6位になると予想されている。国民1人当たりでは2024年に台湾・韓国に抜かれ世界的に20位代となっている。ただしGDP・パイを広げると言っても高度成長期のように、資源の大量利用・大量生産・大量消費・大量廃棄で地球に負荷をかける産業ではなく、医薬品生産のように少ない資源で高度知的研究生産によって高付加価値の産業を興す。世界の高度医療・高度学術拠点造りを国策産業として育成する。若者を中心に起業を志す人々の支援を確立し、失敗しても再挑戦できる仕組みとする。大学院博士課程の充実、学費無償化だけではなく最低限度の生活費も支援する・・等。

シンポを終わるにあたってのまとめ発言
 今日のシンポを契機に、インターネット上のフォーラムを立ち上げ、自由な討論を積み上げ都議選・参議院選の結果を踏まえ、パートⅡを出す予定。その場合、今回の第一部、第二部は無く、第三部を充実させる。現代世界をどう見るかという情勢論を入れる、また当面の行動綱領の補強と解説を加える。

シンポへの申し込みはメール、civiesocietyforum@gmail.comにお願いします。

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