「青春」の喪失を受け入れる。
ずっとなんとなく見たいなーと思っていた、
映画「チワワちゃん」をようやく視聴しました。
まずはあらすじから。
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東京。
10代後半〜20代前半の男女が集った仲良しグループの1人、チワワちゃんがある日突然殺された。
モデルでインスタグラマー、若くて可愛いチワワちゃんが惨殺されたというセンセーショナルな事件に、マスコミ・メディアは色めきだち、チワワちゃんのあることないことなんでもネタにして騒ぎ立てる。
<<世間はチワワちゃんを知らない、、けど、生きているチワワちゃんと同じ時を過ごした私たちはチワワちゃんのことを本当に知っていたといえるのか?>>
同じグループに属していたミキは、ある雑誌記者から、「チワワちゃんの話を聞かせて欲しい」と取材依頼を受けたことをきっかけに、チワワちゃんを思い出し、そして本当のチワワちゃんを知ろうと動き出す。
私たちにとってチワワちゃんとは?私にとってチワワちゃんとは何だったのか?
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物語は、ミキが仲間たちからチワワちゃんのエピソードを聞いて回る形で進行していきます。
登場人物が多くて混乱するのですが、主なグループメンバーはこんな感じ。
チワワがグループに入るきっかけとなったチワワの元カレ、ヨシダ。
グループのリーダー的存在のカツオ。
チワワに一方的に想いを寄せていた映像作家志望のナガイ。
チワワと遊び半分でキスしたこともある、チワワの親友のユミ。
チワワが、浮気したヨシダへの当て付けで関係を持ったハラダ。
チワワにインスタ開設を勧めた、ミキの親友キキ。
彼らそれぞれが、ミキの知らないチワワちゃんのエピソードを持っており、そのエピソードはどれもチワワちゃんの乱れた性生活や、杜撰な金銭感覚、謎多き生き方を明らかにするものでした。
チワワちゃんとは結局何だったのか、、。
ミキと同じ答えかはわかりませんが…私は、チワワちゃんは彼らにとって「青春」の象徴、「青春そのもの」だったのではないかと、、感じました。
頭空っぽで、自分の感情に素直で、大胆で、怖いもの知らず。チワワちゃんの生き方は、華やかで儚い青春のきらめきそのもの。そんな(チワワちゃんという)青春に、彼らは、憧れ嫉妬し執着し、そして失った喪失感とともにそれぞれ新しい一歩を踏み出していったのではないかと。
例えば、チワワの元彼のヨシダ。彼は、チワワちゃんの死後、思いついたように「就活」を始めます。いつもお決まりの文句で女の子を口説いては自分本位のセックスで満たされて、やり逃げ上等、浮気上等…。彼女であるチワワちゃんとの絡みもほとんどが性的なもので、物語全体を通して、全く人間らしい姿がなく、獣のように描かれている典型的なクズ男。そんな彼が「青春(チワワ)」の喪失とともに「就活なんてみんなしてるっしょ」と、急にスーツ来て普通の人間みたいに生きようとします。
例えば、ミキ。門脇麦だからそう見えた?…というのもあるかもですが、彼女は、グループメンバーの中で、どちらかというと地味で落ち着いていて、ふざけているように見えて冷静で、どこかバカになりきれない女の子。彼女がチワワちゃんを見つめる視線には、憧れや嫉妬のようなものが入り乱れているような感じがしました。あーこんな風にバカになりたい、こんな風に奔放に生きたい。そんな憧れ。ミキが誰よりもチワワちゃんの死に執着したのは、彼女が思う理想の青春(チワワ)から脱却して、自分らしく羽ばたきたいという強い願いがあったからなのでは?そんな風に私は深読みしました。
この映画は、「青春」という色鮮やかで華やかで儚い一瞬を「チワワ」という人間に置き換えて描いた…そんな作品なのかな…というのが私の解釈です。
どんな美人にも、どんな大金持ちにも、時間だけは平等に流れ、過ぎ去る。
若さや初々しさは永遠のものではなく、必ず終わりが訪れる。
青春への憧れや執着、それらを手放し、前に進みたい。そんな気持ちにさせられる映画でございました。(ちょっと無理くりかもですが笑)
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