「つらい」のアウトプットについて
悲しいことや嫌なことがあった時、人前で泣いたりSNSにポエムを書いたりするのはカッコ悪い事だと思ってきたけど、最近それは違うんじゃないかと思うようになってきた。
(いわゆる構ってちゃんは嫌いなんだけど)負の感情のアウトプットは、メンタルを保つための選択肢のひとつなんじゃないかと。
たとえば身内の不幸を漫画にしたり、ブログに書いたり、ストーリーにめっちゃ小さい字で長文書いて載せたり。
そういうのを見るたびに「うわ、悲劇のヒロイン気取りかよ」とか「お涙頂戴かよ」って思ってた時期もあったけど(サイテーだな)、よく考えたらわたしが母のことを漫画に描きはじめたのも、「しんどい」という感情をあえて自分の得意分野で表現することで心を整えていた部分があるし、そういう漫画を描くことで同情してほしいとか、応援してほしいという思いは1ミクロンも無い。
過去のわたしのように「お涙頂戴かよ」って思ってしまう人間がいるせいで、本当に「辛い」と思っている人が感情をうまく処理できなくて潰れてしまうのかもしれないと思うようになった。
なんというか「辛い」の基準はひとそれぞれだし、SNSのポエムも、泣かせにきてるようなエッセイ漫画も、自分がそうであるように、その人なりに必死に自分と向き合った結果でてきたものなのかもな、と思うようになった。
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母はどうやらあと1か月ほどでこの世を去るらしい。
今は気まぐれで描いている漫画、現時点の話は6年ほど前の話だけど、それから今までのことは全て描き切ろうと思う。それは自分の心を整えるために。
できれば多くの人に届いてほしいと思う反面、別にわたしだけが心にしまっておけばいいことだとも思ったりもしている。でもせっかく描くならひっそりとでも公開しようとも思う。絵という得意分野もあることだし。
未だに迷いはあるのだけど、読んでくれた誰かが少しでも、家族のことを考えたり、健康に気を使おうと思うきっかけとかになってくれたら嬉しいなあと思ってます。
あと、負の感情をあえて不特定多数にむけて発信することで「こういうメンタルの整え方もあるんだ」っていうことも認知されていくといいのかなあと思ったりもしています。それが誰かを傷つけるものであってはいけないけれど、そうでないなら、そういうスタイルももう少し受け入れられてもいいのかな、なんて最近思うことが増えたので。
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転移の報告を受けて辛かったときに、ツイッターでたくさんの「いいね」に励まされました。こんなに自分自身が元気づけられると思ってなかったから、迷ったけど呟いてみて良かったと思った。でなかったらたぶんわたし潰れてた。
あまり弱い部分をさらけ出すのに慣れていないので、こういうのはリアルよりSNSのほうが向いているみたいです。ちょっとメンタルを調整中なので、生暖かくそっと「いいね」で見守っていただけるとありがたいです(泣いちゃうのでコメントは結構です。)
悲しい気持ちや嫌な気持ちになってしまう方がいたらミュートなりフォロー解除なりしてくださいね。いつもすみません。そしてありがとうございます。ツイッターやっててよかったなって最近しみじみ思ってます。
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ちなみに、メインでやってるツイッターアカウントとこちらのnoteのアカウントは紐付けておらず、別人格というていでやっていて、「綿屋ティム」という名前でやっています。これは実家の屋号と学生時代のあだ名からきています。完全に見切り発車だったのでとくに深い意味はないんですが、メインのアカウントのほうは本名でアイコンも顔出ししてるので、なんとなく身バレしたら親族に気まずいな〜と思ってたからです。笑
(なんでツイッター名の名前違うんだろう?って、漫画読んでて疑問に思った方にむけて書きました。笑)
昔のことから時系列で描いてるので、わたし自身も幼少期(ショートヘア)から学生時代(制服だったりロングヘアーだったり)、若い頃(メガネ無し)、今の姿(メガネ有り)と、全くキャラデザが安定してなくてたまに読み返すと自分でも混乱するんですが(笑)灰色の服着てるのがわたしです。メガネ無しが若い頃、メガネかけてたら最近の姿です。ややこしくてすみません…
ここまで読んでくれてありがとうございます🍀
フォロワーさんや読者さんには本当に勇気づけられています!この時代に生まれて良かったと思います。母に感謝ですね🤱🏻
引き続きゆるっとよろしくお願いします🙏🏻🙏🏻🙏🏻