恋愛に疲れた。

心理学科を学ぶ専門生。

突然申し上げますが、私はこれまでの間何度も恋愛を経験してきました。正確に言うと4度目。
1人目は2年続いたヤバめの元彼
2人目は3週間で終わった一個下の子
3人目は1年続いたとても心が美しい1番好きな人
4人目はつい最近別れた繋がりが多い一個上の人
どの人も、私は全員一途に愛しました。どの人も見返りを求めず一途に好きでした。けれど振ったり振られたりで、もう相手ではなく恋愛のあり方そのものに信用を抱けなくなりました。

そう気づいたのは4度目の彼と交際している時のこと。彼とは1ヶ月少し続きました。お互いに学生という身分で、暇とは言い難い状態でした。私にとっての身体の「初めて」も彼に捧げました。けれどなんの前触れもなく彼から別れを切り出されました。理由は忙しいから、と。
私はこの時になにか糸が切れた音がしました。以前の私ならここで盲目に「忙しくても構わない。」と粘っているだろう。心理学を学んでいるせいか、客観的な視点を持ちやすくなった今、彼の言葉を「嘘」だと思い込むようになりました。忙しいで別れる人は、他にも言えない理由があるパターンが多い。「そんなわかりやすい嘘、言わないでよ」と吐きたいところを抑え、「わかった。」とすんなり相手の気持ちを共感しながらすっぱりと別れました。

お付き合いの終点は、極端に言うと「結婚」か「別れ」である。しかし今どきの婚活支援者が言うには恋愛の延長線上に結婚は存在しないと言われている世の中。ならば別れる運命でしかないのに、なぜみんなは両想いを理由に付き合うのだろうか。どうせ別れるのに。
その考え方を後押しするように、恋愛心理の授業が私の引き金となる。そこで学んだのは青年期(18〜23歳)にする恋愛は長続きしないとのこと。その理由は相手を愛してるのではなく、「自分の鏡」として見ているかららしい。つまり相手の目に映る自分に関心を持つ、言うと自惚れているということだ。この話を聞いた時、思い当たる部分があった。それに反抗するガキがいるのなら、思い当たる部分があるけどそれを認めたくないからなのだろう。
男が女に「可愛い」「好き」「お疲れ様」と女にとって都合のいいセリフを投げているのは、好きという気持ちは本当にあるとは思うが、ほとんどはそのセリフを言ってやってる自分が好きなだけなのだろう。その逆もそうだ。こう思うと鳥肌がたち、人間不信になる。
このように悟ってから、知り合いや友人に「可愛いね」など口説かれた時、瞬時に「間に合ってます」「わかってる」と返すような痛いヤツになってしまった。どうしてくれるんだ。
ここで素直に「ありがとう!」て爽やかな笑顔をしてみたいものである。

私はやけくそになり、タップルを2日間だけ入れてみた。そうすると表示されないくらいの大量の通知がやってきた。気になった数人だけいいねを返しマッチさせ、DMを何度か交わしたが、「私をこんなところで安売りしていいのか」と我に返りすぐに消してしまった。そもそも人をスワイプしてショッピングのように見ていい立場に私はいない。

はぁ、とため息が。
私はもうしばらく恋愛をしなくていいのではと開き直ってしまった。周りの友達は恋人がいなくても人生を楽しんでいる。毎度その子たちを見る度かっこいいなと思う。私も、誰にも寄りかからず自給自足で生きていけるような高嶺の花になりたい。私はもう花を飾れる華奢な女性を演じるのは懲り懲りだ。私はしばらくグレて生きていくんだ。しないであろうタトゥーのシールをたくさん貼り、渋谷と銀座と、表参道と足立区の夜を徘徊するんだ。チャミスルを割らないで飲みながら歩きたい。ヒップホップの曲を流しながらテラスで夜景を眺めて白ワインを飲んでいい気分になるんだ。滅多に着ないSHEINで買ったストリート系の服でへそと鎖骨をさらけ出して人生に舌を出すような顔をして生きてみたい。
でもこう見えてビビりなので学校は休まずに登校します。恋愛に自惚れて簡単に休むようなあいつのことを見下して、成績だだ下がりのあいつらを嘲笑いながら私は鼻を高くしてグレるんだ。決して人の悪口は言わず乗らずでいい子にしてたストレスを全部酒と筋トレと曲で消すんだ。



そうやって強がりたい私。
今でも元彼が作った曲に泣かされてしまうぐらい弱いのに。
でもこれを「拗らせている」というのなら、誰か私をビンタしてください。
都合のいい現実に目を覚まさせてよ

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