【脱稿】お遍路は、旅行?レジャー?挑戦?冒険?修行?それとも……

修学旅行で学生が新幹線に乗る時、事前に乗り方の練習会があるという。

そこで、こういう指導がなされることがある、とネットの何かで読んだ。

「新幹線には色々な事情で乗る人たちがいる。私たちみたいに楽しい時間を過ごすだけではない。遠方へのお見舞いや急な不幸といったことで乗らざる方々もいる。はやる気持ちは心にとめて、声をあげて騒ぐことがないように」

あぁ、その通りだなと思った。

さて、お遍路である。

これも聞いた話。

「借金か病気か分からないけど、生きるのが辛くてお遍路する人がいた時代があった。そういう人は見たら分かるんだ。高知の室戸岬に行くと、大きな海に吸い込まれるだろうな。何人も身投げしたと聞いた。お遍路とはそういう一面もあるんだよ」


ここからは私の想像です。
ニッチもサッチもいかなくなって、それでも自分で自分を終わらせることもできず、いつか力尽きることを願ってお遍路歩きをする人もきっといたんだろうな、と思います。昔の話じゃなくて昭和とか平成の話。

「お遍路中のことであれば仕方がなかったね」
「お遍路さんとは弘法大師様の成りかわり。せめてそう思って手を合わせて…」

そんなつもりはなかったんだ。
結果としてうしろ向きな生き方を歩んできた。

申し訳なさを十分に抱えながら、だからといって自分じゃもうどうすることもできず、それでも最期、死にゆくほんのいっとき位、君は十分がんばった、と慰めてもらえるならば。

本当に紙一重だと思います。
人生で2つか3つ、ひょっとしたら1つ、分岐が違っていただけで僕のお遍路歩きも違うものになっていたかもしれない、と思います。そしてこれから先のことは分かりません。

お遍路に限らないことですね。

自分ではどうにもならないことで、自分の人生が変わってしまうことだってあるでしょう。

責めることなく、正すことなく。

そのままのあなたでいいんだよ。
顔を知っている人であれば、そのままのあなたが好きだから。

そういうふうでありたいな、と思います。

世界よ、優しくなろうぜ!!



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