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マリアテレジア大先生/ウィーン/9/20

朝ごはんに近くのカフェでベーグルを食べた。キュウリが入っていることが臭いだけでわかってしまった。キュウリを抜いて食べる。

薄切りきゅうり入りベーグルとフラットホワイト

シシィチケットを持って、シェーンブルン宮殿へ。60番のトラムに乗らないといけないところを52番に乗ってしまい、シェーンブルン宮殿駅の手前で分岐してしまった。仕方ないので次の駅で降りて、宮殿まで歩いた。他にも同じような目に遭っている東アジア人の家族連れがいて、日本語を話していた。

宮殿は大きくて入り口がどこにあるかすら少し迷うほどだった。中に入り、ハプスブルク家の歴史を紐解くよう一つ一つじっくりと見ていく。宮殿はどんどん増改築を繰り返し、ハプスブルク王家最後の皇帝であるカール一世の退位の瞬間は改築中だったらしい。
展示はフランツヨーゼフ時代のものをベースに、フランツヨーゼフ半分、マリアテレジア半分、といった感じだった。ミュージカル「エリザベート」で表現されている「許可する!」の場面の部屋や、フランツヨーゼフ一家が食事を摂った部屋、さらにエリザベートの居室など。

フランツヨーゼフが許可していた部屋

ミュージカルを観ていると当然フランツヨーゼフはエリザベートの引き立て役でしかないわけだが、実際60年以上帝位につき、その間に弟のメキシコでの死、唯一の息子の死、最愛の妻の死、そして息子の代わりの皇位継承者の死とそれに付随しての第一次世界大戦の開始、とまぁ大変な人生だったのだと思う。妻があまりにも死後フィーチャーされてしまったために影が比較的薄いが、その時代ではそれなりに尊敬されていたのだろう。唯一の失策はエリザベートと結婚してしまったことのような気がする。しかしそれがなければ彼の人生は本当に全てパブリックなもので自分の意思というものが介在しえなかったかもしれない。

それにしてもマリアテレジアという女帝はすごい。16人の子を産み、自身は恋愛結婚なのに自分の子供はお気に入りの一人を除いて政略結婚。おいおいおい……。マリーアントワネットもその子供のうちの一人というのが、ヨーロッパの王家の狭さを感じる。
見学途中でサイレンが鳴り、一旦追い出される。「誰かがトイレでタバコでも吸ったんでしょ」とベンチで隣に座った婦人が言っていた。おそらくそうだったのだろう、ほどなくして元に戻された。

マリアテレジアのフレスコ画、これを見学中に追い出された

ハプスブルク家の最後の皇帝はカール1世だが、英語だとチャールズになる。日本語読みの方が原文に忠実なこの現象。ドイチェランドをドイツと読んだり、ウィーンのことをヴィエナではなくウィーンと呼ぶのと同じ。ドイツ語圏の言葉が特にそうなのかな。

見学後、腹が減ったのでBillaで炭酸ジュースを買った。このスーパー、ブラチスラバにもあった。調べてみるとオーストリアのスーパーらしい。"billiger Laden", ドイツ語で'cheap shop'の意、だがそこまで安いわけではない。1996年REWEグループが買収。だからドイツでは見たことがなかったのか。
Hietzing駅にあるおじさんがやってるホットドッグスタンドでホットドッグを買い、シェーンブルン庭園でランチ。オーストリアのホットドッグはパンの中身をくり抜いて、そこにソーセージを入れる。気の抜けた味のホットドッグだった。Billaで購入したAlmududleeの炭酸ジュースはオーストリアのものらしい。

気の抜けたホットドッグ

昼食後、敷地内の馬車博物館へ。

ナポレオンが使っていた馬車が展示されていた。ナポレオンといえば妻ジョセフィーヌの印象があるが(宝塚の100周年の柚希礼音さんと夢咲ねねさんのポスターの印象が強いため)、二人目の妻はこれまたハプスブルク家から。ハプスブルク家、すごい。ヨーロッパの王家が王家同士で結婚する傾向があるのは、ハプスブルク家に由来したりするのだろうか。

マリアテレジアが性別で舐められないようにするために競技ソリの特訓をし、オーストリア帝国の解体を狙う王侯貴族に対抗したこと、その合間に16人の子を身籠り産んだこと。39歳までほぼ毎年のように妊娠・出産していたようだが、その間に身を張る政治的行動もしていたわけで……当然彼女を支える大勢の取り巻きがいたとはいえ、凄まじい気力体力。そうでないと女性が統治することは難しい時代だったのだろう。同時に、悪阻による体調不良や妊娠・出産による生命の危機を考えると、女性が国を治めるのがムリある時代だったということも納得できる。

マリアテレジアのソリ

他にもエリザベートとフランツヨーゼフの衣装や、数少ない二人の共通の趣味だったという乗馬に関する展示もあった。エリザベートは馬に跨らず、片方に脚を寄せ、腰かける形で乗っていたらしい。マジか……。

シシィのくびれよ……。

エリザベートの唯一の政治介入はハンガリーの地位向上で、それが一因となって結果的にハプスブルク家による帝国が崩壊したという博物館のキュレーターによる解説も興味深かった。

フランツヨーゼフの日常車。ハプスブルク家のみが使用を許されたというダークグリーンの色はもはやただの黒に見えた

小さい博物館だが見応えあり、2時間強滞在してしまった。その間に何組かの団体が私を追い越していった。

最後にグロリエッテの丘に登り、シェーンブルンを後にした。本当はカフェでお茶したかったが、そんな時間もなく……。

Gloriette Schönbrunn

夜、VolksoperでSound of Music鑑賞。当然ドイツ語だがオペラ劇場ゆえに英語のサブタイトルがあり、ストーリーも追いやすかった。しかしメガネかけていたにもかかわらず、サブタイトルがボヤけて見れたのは……視力の低下著しい。

Volksoper 劇場前にワインスタンドが出ていた

観劇後はあいている目ぼしい店もなく、Weatbahnhofのマクドナルドでシーザーサラダを食べた。ストローも紙の徹底ぶりだが、一方別添えのクルトンとシーザードレッシングはプラスチック製。これいかに……。駅では思いがけずエリザベート像と出会った。

Weatbahnhofのシシィ像