22、その少年が亀を飼う
その少年は亀を飼っていた。
亀の名前は「カメックス」または「タートルズ」
アニメのキャラクターから取った安易な名付け方だった。
なぜ名前が2つあるのかというと、お別れするまで名前を決めきれなかったのだ。
どちらの名前もカッコよくて、2つの名前をその時の気分によって呼び変えていた。
タートルズは複数形の名称で、1つの単体につけるのはおかしいと、
父が教えたが小学生のその少年にはチンプンカンプンだった。
「カッコいいからそう呼ぶ」
これで全て決まりだった。
カメックスorタートルズとの出会いは、一人で街を徘徊している時のことだった。
その少年は家の近くを流れる川に沿って、ただひたすらに上流を目指すという何の目的もない、買ってもらったばかりのマウンテンバイクに乗っていたいだけの時間を過ごしていた。
近所の川の何十倍もある大きな河には、2時間ほどで辿り着いた。
その河には草が茂った土手があった。
その少年は土手に腰をかけ、ボーッと河のさらに上流を見ていた。
これよりさらに先には海があるのかな、と考えていた。
しかし、河の先には山が見えていた。
家の近くの川の上流のここには何十倍も大きな河があるということは、この河の上流はさらに何十倍もあるわけだから、それはもう海しかないと決め込んでいた。
山の向こうに海があるのか?
ん?山の下に海が流れているなんてことあるのか?
この先に行ってみたい。
でも遠すぎるな。
ま、いっか。行かなくても。
中途半端な冒険心とうすい興味では腰が上がらなかった。
その時だった。
その少年が座る場所よりも河に近い草むらがカサっと動くのが見えた。
草むらの一部の草だけが揺れていた。
その少年は不思議がった。
何であの少しだけの草が揺れたんだ?
風なら全体が揺れるはずだろ。
鳥が飛んでいった?
空に鳥はいない。
ちょっと見てみよう。
簡単に確認できる冒険心と近場の興味に腰をあげた。
自分の身長よりは少し低く覆い茂る草むらに寄っていくと、草むらの一部分だけを揺らした犯人がすぐに分かった。
亀だった。
その亀はポテトチップスの袋ぐらいの大きさだった。
その少年が今までに出会った亀の中では最大だった。
「デケーっ!」
当然、その少年は家に持ち帰った。
悩む事も迷うことも一切なかった。
唯一少し考えたのは、その少年のマウンテンバイクがカゴのないタイプのマウンテンバイクだったので、
どうやって2時間かかる距離を、このデカい亀と移動するかぐらいだった。
片手だと少し重たい亀を右に左に持ち替えて、片手運転で家まで持ち帰った。
その少年は、
「飼うって言ったらお母さんにダメって言われるかな、そうなったらごめんな」
「飼っていいって言われたら、名前を付けてやるな。名前を付けたのに戻してこいって言われたら、お互いに辛いだろ?」
と、首を完全に引っ込めて一切顔を出さない亀に声をかけながら帰った。
家には父がいた。
父も驚くほどの大きさの亀で、その少年が飼いたいと言うと父も亀を面白がってOKを出した。
ベランダにあるザリガニが腐って死んでから使わなくなったカビカビになっていた水槽を洗い、カメックスの家を用意した。
タートルズを水槽に入れ、
父とカメックスのエサを買いに近所のホームセンターへ行った。
その少年は父が乗り気だった事に少し驚いていた。
急いで家に帰ると、母が家にいた。
そして「これ、どうしたん?」と、タートルズを指して言った。
その少年はカメックスとの出会いと帰り道の2時間の思い出を母に話した。
話している最中、母はNOの表情をしていた。
しかし、タートルズにエサをあげようとしている父を見て渋々OKを出した。
家にいるのが母だけだったら飼えなかったと、その少年は安堵した。
カメックスとの生活は全くつまらなかった。
その少年は飼って分かったことがあった。
「亀って全然動かないんだ…」
遊ぼうと思い水槽を叩いても、すぐに首を引っ込めて動かなくなる。
その少年は次第にタートルズにエサをあげることもしなくなっていった。
そんな日が数日続き、とうとう母の雷が落ちた。
エサもあげない、水槽の掃除もしない。
全部お父さんにさせている。
あんたに動物を飼う資格はない。
今すぐ河に返してきなさい。
父の顔を見ると、少し寂しそうだった。
でも父は、母が言うことを止めなかった。
その少年は泣きながらカメックスを抱えて自転車に乗って河に向かった。
泣いていたのはタートルズとの別れを悲しんだのではなく、母が怖かったからだった。
河までの2時間、カメックスを拾い家に連れ帰った時のことを思い出していた。
ようやくその少年はタートルズに申し訳ないことをしたと思い始めた。
河に到着し、カメックスが揺らした草むらにタートルズを置こうとした。
カメックスはいつもの様に首を引っ込めたままだった。
最後に顔を見て、お別れをさせてくれとタートルズの甲羅を叩いた。
それでもカメックスは首を引っ込めたままだった。
その少年はどうしても顔が見たく、
タートルズが首を引っ込めた、くぼみに指を入れようとした。
その瞬間、
カメックスが勢いよく顔を出し、
その少年の指に力強く噛み付いた。
その少年は痛さのあまり、反射的に噛まれた指を大きく振り払った。
するとタートルズはその少年の指から離れ、遠くに飛んでいった…。
そして、そのまま河にドボンと落ちた…。
「痛ってぇ…クソ亀が」
これがその少年と亀との出会いから別れまでだった…。
つづく…。
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