いろいろあったはずなのに、今思い返すと平和だった

転校してみるのはどうでしょうと担任に言われたりもしたけれど
なんとなく学校に行かなくなったように
なんとなく学校に通い始めるようになり、
「有給消化だから」ととぼけたことを言いつつ休みながらも
卒業まで居座ることができた。

学校に行くと言いつつ、病院の待合室で時間をつぶしているような
そんな私に父はなんにも言わなかったなぁ、と今頃感じいったりする。
私が成人してから、あの時は悩んで友人に相談したりしていたと語ってくれたけれど、そんなふうにはまったく見えなかった。

2年次の数学の小テストのとき、晴れわたった空がとても気持ちよくて、空をぼーっと眺めすぎてしまい、けっきょく白紙で提出してしまったことがあった。
これはさすがにお小言かもと、内心ちょっとドキドキしていたら
あまり仲良くもない数学教諭は「どうした?具合でも悪かったのか?」と心配してくれて、逆にびっくりした。
その時初めて、あぁ申し訳ないと思ったんだよなぁ。

それと、英語のおじいちゃん先生がなんだかほわほわしていて
文化祭で出品した部活の作品をわざわざ写真に撮ってプリントしてくれ
裏にコメントまでつけて渡してくれたこともあったっけ。
田舎の息苦しさのなかにいたのに、気にかけてもらえることは嬉しかったんだ。

また、3人と文通していて(信じられないかもしれないけど、昔は雑誌に住所や名前を載せて文通相手をつのるコーナーがあったのよ。)、あの頃から「自分の生活圏とは違う人」との交流に救われていた。
遠くにいる同い年の子とは受験や親のことなどなど話したり
近くにいるちょっと年上の子は体育祭を見に来たりしてくれたっけ。
この年上の子、県内随一の進学校にいたのに、けっきょくエロ漫画家になっちゃって。ペンネーム忘れちゃったんだよな、今も書いてたりするのかな。





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