見送るのは寂しくて、出発するのは安心をもらって。
この感情は、
どちらも自分にとって心地よさだった。
久しぶりの長旅。1年ぶりの屋久島。
ゆっくりと会いたい人に会いながら、
向かった目的地に着いたのは出発してから3日目。
今回屋久島に行きたいと思ったのは、
大学を卒業して、あっという間にすぎた1年間を
振り返れないまま社会人2年目に突入してしまった違和感があったから。
(ほんとは「屋久島でヨガやるよ」ってメッセージをもらったからです。笑)
なんか色々湧き上がっている自分の感情を無視しているな、
自分の好きな時間ってなんだっけというモヤモヤを1回着地させたいと思ってた。
でも、屋久島に着いたら
「おかえり」と言ってもらえて、
「ただいま」と口から出たこと。
もう、すごく嬉しかった。
そう言ってくれる人がここにいて、
その言葉が出た自分がすごく嬉しかった。
良い出会いもあった。
ちゃんと会うのは初めてなのに、
何となく互いに握手からはじまったこと。
出会って24時間で見送る時間になり寂しくなったこと。
よく笑い、よく歌い、ふと描き、
言葉に感情を溢れさせたり。
ただそこに居る暖かさ、
みんなのもつ「自分の気の向くままにどうぞ」
っていう空気感がすごく好き。
みんなが先に屋久島を出発する日は少し寂しく、
でも、行ってらっしゃいと声をかけるのはどこか楽しさがあった。
ここを出発してまた会うんだろうな(また会いたいな)という気持ちがわくと同時に、なぜか自分の背中を支えてもらっているような感覚になるんだ。
屋久島で出会った、あなたの言葉
「自分が大切にしているものがあるように、他の人もそれぞれ大切なものを持っている。みんな生きているんだ」というのがすっと心に入った。
今も残っている。
その通りだよね、あたりまえ、でも忘れてた。
時に、誰かに目を向ける心の余裕がなくなる時はある。
むしろ余裕がある時ほど何かに熱中して、
自分にしか目がいってない時すらありそう。
そんな時、自分の大切なものと誰かの大切なもの
どちらにも目を向けられる自分をもちたい。
自分の住む町に帰って来て、
また慌ただしい時間になっているの感じる。
1週間があっという間にすぎる。こわいこわい。
でも、また会いたいと思える人たちが、
それぞれの日常をおくる場所で生きていることを知っている。
自分を信じてくれている人がいることを知っている。
だから大丈夫。
大丈夫じゃなかったら、
みんなのいる町に逃げこむから大丈夫。笑