過去に囚われ、未来を模索する日々【自己紹介、病気について】

初めまして、20歳大学生のりなです。
気分変調症の私が考えていることや悩みを書き留めるためのアカウントです。

💕好きなもの
クラシックバレエ
メイク、ファッション
Vtuber、ストリーマー

病気について
精神科通院歴
2022.10〜
今の処方箋
ロラゼパム、エビリファイ、デエビゴ

睡眠障害 過眠、不眠の繰り返し
パニック 過呼吸、動悸
自傷 たまに浅めのアムカ
希死念慮 いつか無くなる日はくるのか

病気になった理由
私がこの病気になった原因は家庭環境です。
経営者の父、専業主婦の母、四つ上の姉の4人家族です。

医学部卒。卒業後は一般企業に就職し、私が生まれる前に起業。10年位で会社が軌道に乗った(はず)。教育熱心で熱くなると手を上げる。怖い。

九州出身で、父の行きすぎた教育を疑問に思わない。父>>>>>姉、私

勉強嫌いだが父の教育のおかげで学歴はいい。が、二留年

家族が嫌い、殴る父は怖いしそれを当然と思って止めない母も受け入れる姉も謎。家族の中で浮いている。一浪、大学辞めたい、家族と絶縁したい

3歳 クラシックバレエを姉の影響で始める。
幼稚園
カトリックの私立幼稚園、小学校受験をする子が多い。
父がいる土日は姉と一緒に勉強させられてた。
この時は勉強に抵抗はないが、たまに殴る父は怖い。
年少で本屋にある子供向けドリルを制覇。
年中で小学一年生の進研ゼミとZ会
年長で小学校二年生のZ会アドヴァンスコース
小学校受験を嫌がった姉と同じ公立の小学校へ進学

小学校
1、2年生 記憶がない。
習い事はバレエとピアノと水泳 ピアノと水泳はいつ習い始めたか覚えてない。
姉の中学受験の勉強で父は私にまで手が回ってなかったはず。
3年生 塾の教材を使って受験勉強スタート
土日は父と勉強、平日は父から出された宿題をする。
学校のクラスが荒れ気味で定期的に休むようになる。偏頭痛が酷かった。
4年生
始めての模試で偏差値70over、私の全盛期
父のいる土日が嫌で、金曜の夜は明日が来ないことを願って泣いてた。この頃から不眠気味。入眠までに2時間かかる。入塾のためピアノと水泳は辞めた。
5年生
入塾。成績が落ちまくる。偏差値55くらい。反抗期で親をよく無視した。とにかくイライラしていた。
6年生
偏差値変わらず。図書館に勉強に行くと言って嘘をついて友達と遊んでた。相変わらず反抗していた。
水疱瘡になったり難病で12月に2週間入院した病気の多い年だった。
入院中は親に会うことは少ないし、看護師さんは優しいしで勉強はしてたけど快適に過ごせた。
1月の受験は体調を考慮して断念。
2月の受験本番では第一志望の姉と同じ私立の中高一貫の偏差値65くらいの学校に合格。
親の機嫌が良くて安心。

中学生
1年生
予備校に行かない姉の勉強を見るのに父は忙しく自由に過ごせた。
成績を見せたら殴られる。1科目すごい良くても英語が出来ないから褒められることはない。過呼吸になりやすくなった。
バレエにハマって週4回以上行ってた。家にいない理由になるし、大人のクラスで先生と生徒さんに可愛がられてて心地よかった。
親には反抗期だと思われていたが、おそらく反抗期は終わっていて、ただ距離を取るようになっただけだ。
2年生
個別の塾に入れられる。入塾テストはほぼ満点。中学受験のような内容のテストだった。
サボりつつも優しい先生たちに褒められたいからある程度勉強はしてた。学校の成績は上がったが、親の満足は得られず一年で退塾。
3年生
成績が下がって親は怒るが気にせずバレエにハマってた。この年の発表会で主役やれて嬉しかった。
学校のあと昼寝すると母に怒られるが夜は全然眠れず1日3時間睡眠。2時に寝て5時に起きる。学校は一番乗り。

高校 中学からそのまま同じ学校に通う。
1年生
コロナの影響で一学期はずっとオンライン授業。大嫌いな家から出られず、涙が止まらない、ご飯が食べられない、希死念慮などの症状が出る。この時にスマホで色々調べて、私の親って毒親…?と思い始める。親に怒られるとなる上手に息ができない状態がが過呼吸と知った。過呼吸で痙攣したり筋肉硬直してる私を、演技だって言って勉強させたり食器洗いさせる親ってやばくない?
通学が再開してから抑鬱状態は無くなっていった。
2年生
受験勉強を始める。
予備校行きたいって言ってもなかなか行かせてもらえない。なぜ?
中3の時から志望大学悩んでる。都内の大学だと一人暮らしさせてもらえないから地方の国立大に行きたいと思ってた。
親からの圧がすごくて、体も壊してたからバレエを辞めた。
3年生
予備校行き始める。
国立行くなら東大か京大。大阪は治安悪いからダメ。それ以外の大学行くなら都内の学校に行け。(早慶未満は大学じゃないらしい)と言われたから第一志望は京都大学。行けないとは分かってたけど家を出たすぎて1日17時間勉強してた。
けど簡単に成績は上がらないし親は模試があるたびに怒るしで病みまくる。泣きながらリスカしながら勉強してた。
5月に心療内科行ったけど親に言えないなら治療できないと言われた。18歳だしねしょうがない。
6月から心因性の鈍痛で勉強してると鈍い痛みが手や膝にあった。
8月コロナにかかる。勉強のやる気ほぼゼロで体調悪いのを引きずってるふりをしてサボってた。
9月勉強したくても何も頭に入ってこない。どうやって死ぬか考えてた。予備校に行かなくなった。
10月メンクリに通い始めた。薬は効かない。学校でも過呼吸になったり、元気が無さすぎて友達に心配されてた。成績が悪すぎて(偏差値60未満)私立大学だけ願書を出した。
家を出られないなら死のうと思った。
毎日線路に飛び込めたらなって考えてた。
いつでも首を吊れるようにクローゼットにブランケットで吊れるように用意してた。毎日首を入れてみたけど、怖くて途中で辞めてしまった。
死ぬことが怖いのではなく、死に損ねた時が怖い。
1月、2月受験会場に行く元気がなくほとんどサボった。受けても結果を見ずに親に全て落ちたと伝えた。浪人することにした。

浪人生
心機一転頑張ろうと思ってた。
有名な予備校の私立コースに通った。自分で国語と社会の勉強もしてた。模試ではコース内で4位だった。親からはこれから現役生もいてこの成績かと怒られた。夜まで自習室で勉強してたのに、親に19時までに家に帰ってきなさいと言われた。規則正しい生活をしなさい、家の手伝いをしなさいと言われた。
いつのまにか、親が怖いから嫌いに変わっていた。必要以上にお金をかけてくれて、私の将来を考えてくれた。きっと愛されているのだろう。でも、私はいつからか実家では常に親の機嫌を伺い、存在感を消して怯えながら過ごしていた。帰宅して玄関の鍵を開けるのに勇気を振り絞った。足音がするだけで心臓が痛かった。

本当に愛されていたのか?
親は私を1人の人間としてではなく自分の支配下の都合の良い存在と思っていたのではないか?

分からない

愛って何?

私は恋をしたことが無い。
これから先も誰からも愛されずに、誰のことも愛さずに生きてくの?

私の生きる意味ってなに?


いつの間にか全く勉強が手につかなくなっていた。
このまま受験しても去年と全く変わらない。
もう、受験しなくてもよくない?
働こう。
10月
そう思って私は、いつも通り予備校に行くフリをして 家出 をした。
鍵を部屋の机に「もう帰りません」と書いたメモと一緒に置いて部屋を出た。
とっても清々しい気分だった。
電車に乗ってすぐ母から電話がかかってきた。
すぐ切って家族みんなブロックした。家族ラインも抜けた。
私は変なハイテンションで、高校一緒だった友達にラインをした。家出をした。もう受験せずに働く。と伝えた。

もちろん友達は驚いてお金はあるの?仕事見つかるまでどうするの?と聞かれた。

お金遣いの荒い私はお財布に二万円しか入ってなかった。24時間営業のマックとかにいればいいやと考えてた。保護シェルターにも連絡をしていて、数日後にはその施設に入るつもりだった。

友達に伝えると「今日はうちに泊まって」と言われた。その子は実家暮らし。ご家族に迷惑かけられないからと断ったけど、友達に絶対来てと言われてお邪魔することにした。

夜まで、初めて訪れた大きめの駅で時間を潰して友達に会いに行った。

駅で友達とそのお母様と合流して家に連れて行ってもらった。

友達のお母様に事情を話した。
友達のお母様は病院で事務の仕事をしていて、医療知識がある。
3日ほどかけて話し合いをした。
友達のお母様には大学に入った方がいい。どういう条件なら大学に通える?と聞かれて、

もう勉強は無理。親と会うのも無理。

と伝えたら公募推薦で、小論文と面接で受験ならできそう?一人暮らしなら通える?と提案された。

その案に従って、3ヶ月友達の家にお世話になった。
シェルターはあなたのいくべき場所じゃないと言われた。家庭教師の先生を見つけてくれて、1日3時間くらいだけ小論文の勉強をした。

親への説得も友達のお母様がしてくれた。
もちろん、親は簡単に折れてはくれなかった。
推薦で行ける学校より一般受験で今の成績で行ける大学の方がよっぽどいいじゃないか、
自宅から通えるのに一人暮らしなんて許せないと言っていたようだ。

友達のお母様がこんな精神状態になってしまうのに、お家に返すことは出来ないと伝えてくれた。

親は私がメンタルクリニックに通ってることは保険証経由で知っていた。模試の成績を見て怒り狂ってる時に言われた。精神病なんて甘えだと。

分かっていた、親から理解が得られないことくらい。だから何も言わないし自分のお小遣いから診察料を払った。ほっておいてくれたらいいのに、わざわざ私を傷つけたいがために、病気のことを言われた。

それまで、もしかしたら病名が付いたら親からの反応が変わるかもしれない、心配してくれるかもしれないと思っていた。その期待が打ち砕かれて、もう絶対親に期待をしないと決めた。

そんな親をお友達のお母様が言い包めてくれた。なんと言ったかは分からないが、何回も会って話してくれた。

無事に受験が終わり、念願の一人暮らしをして大学に通うことになった。親と3ヶ月に1回ほど会い、月に15万円もらっている。

この生活なら普通に暮らせるはず、病気も良くなるはずと思っていた。



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