ちっちゃな希望を見つけたんだ
ちょっぴり悲しくなった日。
いつものように、音楽に頼りたくなって、YouTubeで大好きなアーティストの名前を検索する。
今日はなんだか明るい気分にはなれなくて、優しく包み込んでくれる曲に縋りたくて、Soranjiを再生する。
何気なく次の候補を未漁っていると、気になる見出しのショート動画が。
ふと再生してみると、少し辛いけどちょっぴり、ちょっとだけ、
いや、だいぶ救われた。
こんな素晴らしい動画にミセスを使ってくれて、本当に嬉しい。
どうしても綴り方が、上から目線のように、
当事者のようになってしまうけれど、本当に嬉しかった。
あたたかな気持ちになった。ありがとう。
(1分ほどで終わる動画なので皆様も是非。他の動画もぶっ刺さった↓)
汚れながら泳ぐ生の中で、まだまだ希望はあるんだと、気付かさせてくれた。
そんな感情の中で思い出したのは、noteを始めた最初ごろから読んでくださっている、そして読ませていただいている、彼の一つの記事。
取り扱っていた曲は違うし、それぞれのメディアが伝えたかったことのニュアンスは少しずつ違うかもしれないけれど、繋がるものを感じて。
動画に出てきた、"優しさ"を武器にした彼ら、彼女らも憂い、それでも立ち止まった。
人のやさしさをわざとらしく持ち上げる行為があまり好きではないが、この動画はすっと、受け入れる事ができた。
しかし、彼が、綴っていたように、そんな優しさに気づけるのは、
哀しい世界があるが故。
混沌とした毎日の中で哀しい世界は変えられないかもしれない。
だけれど、
目の前の人間個人個人の哀しみから、少しでも救ってあげたとき。
目の前の悪に立ち向かえたとき。
その行動をアンビエンスさせることができたとき。
それはきっと私たちがきっと、優しくなれた時。
そして、そんな大事なことを
だいすきなアーティスト、
Mrs. GREEN APPLEさん
も毎秒毎秒更新しながら、それぞれに寄り添って、
詠ってくださっているのである。
こんなに恵まれた環境で、
愛に気づけず悩むことが
なんだか幸せに思えた。
あ、私の導火線だ。
あ、わたしの音だ。
取り巻く環境よ、有難う。
優しさを分けれる人になろう。なってみよう。