試暖心
貴方は、私は、いつだってなんだって、追われる側になれない。
欲しがりすぎるが故に失ったときに苦しくて。
そこに直面したときは特別に思えるけれど、実は人は人で。
みんな多かれ少なかれ苦しみを抱え込んでんの。
それに気づけずに、いや、目を背けて
私は特別に苦しいんだ。そんな私に気づいてくれ
と差し伸べる手も見えないような、そんな創り上げた悲しみに酔わされる。
そうやってきっとみんな目の前の今日を踏み出す勇気を創るのに必死だ。
今日も心の心臓が痛い。
心拍が上がったり、下がったり。
そんな弱い人間達を救ってくれるものの一つに
言葉
音楽
がある。と、やっぱり彼等の曲で感じることができる。
今日もまた貴方の言葉で途方もない冷たい黒穴に
堕ちないでいられる。
有難う。
自分は好きになれないけど、彼らの音楽を好きになれた自分は好きで。
生きていけない、と無価値だと嘆く心の取り戻し方でさえも
貴方が教えてくれた。
でも、忘れないで欲しい。
こんなに沢山の人を救っている彼らだって、
1人の弱い人間
の側面があるはずなのだ。
知り合いの、子沢山の母親が強いように見えて、実は脆く容易く崩れたように。
いつも、皆の真ん中に居て引っ張っていてくれるあの子が、私の前でわんわん泣いた時のように。
だから、どうか、間違った時は優しく教えてあげて欲しい。
彼の意見を、先ずは聴いてあげてほしい。
音楽を発信する側のAttitudeがあるならば、
受け取る側のAttitudeだって存在する筈だ。
それも分かってる、知ってるよ。
分かっていても、きっと、自分の弱さから逃げたくて
君は真っ当な事を言っている彼を叩くんでしょう?
その快楽を得てしまった私たち人類が、完全に、
素直に喜び讃えあうこと
はもう不可能なのかもしれない。
だけど、彼らの音楽を聴くことで、
この世は終わってなんかいないと、
暖かみがある自分にとって帰れる場所が存在するんだと
自分の優しさをたんすから引っ張り出してくることができる。
勿論、彼らの音楽を無理やり好きになれとは言わない。
だが、
君の弱さは彼が救ってくれるから、彼に弱さで当たらないで欲しい。
当たることは、本質的幸福につながるのか?
よくもう一度考えてみて欲しい。
君たちは、私たちは、消費者として無責任すぎる、のかもしれない。
それも彼があらゆる容で体現し、警告の鐘を鳴らし回っている。
それに、気づこうとするか。
試されているんだ、きっと。
そして、同時に愛してくれるんだ、きっと。
微々たるものでも愛に気づけるか。
僕次第、君次第、私次第。
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