tento 漆原悠一さんのお話(5)
デザインという仕事を通して「個人の純粋な考えや思いをそのままに、自然な形で表出させたい」と気持ちを深める背景には、一人の写真家と作品の存在がありました。
「土地の記憶」をテーマに長崎の爆心地跡や周辺の風景を真摯に、かつ静かな熱をもって撮り下ろされた写真群を前にして、「この仕事は誰かに任せるのでなく、自分が出版元となって形づくっていきたい」。そう直感的に感じたことをきっかけに、事務所(tento)と同名の出版レーベルを立ち上げた漆原さんは、2019年7月に一冊の写真集を刊行されました。
最終回では、tento として初めて出版を手がけることとなった写真家・佐々木知子さんによる『Ground』刊行の経緯とともに、『からむしを績む』と『Ground』を結びつけた「土地の記憶」を引き受け、次の世代へ繋いでいくための想像する力について、お話を伺いました。
「土地の記憶」を呼び起こす
漆原さんがデザインだけでなく出版も手がけられた写真集『Ground』は、『からむしを績む』とも深く通じるものだったと伺っています。
漆原 そうかもしれません。信陽堂さんは、以前から僕の仕事を見て、いつか一緒に仕事をしてみたいと思ってくださっていたようなのですが、今回のテキストを担当された鞍田さんからは、『Ground』という写真集をとおして僕の存在を認識されたと伺いました。おふたりとも、『からむしを績む』で伝えたいことや、大事にしたいと考えていたことと通じるものを感じてくださったようです。
『からむしを績む』への協力依頼を受ける直前の2019年の夏に刊行されたのですよね。
漆原 はい。何かタイミング的にも符合するところがあったのかもしれません。初めてご挨拶を交わしたぐらいの時期だったのですが、鞍田さんが『Ground』を購入するために出版元に注文の連絡をしたら、対応したのが僕だったので、ビックリしたとおっしゃっていました(笑)
写真集『Ground』は、どういう経緯のお仕事だったのでしょうか。
漆原 著者で写真家の佐々木知子さんとは元々友人で、折に触れ「こんなの撮ったけど、どう思う?」と、彼女が撮影した写真を見せてもらっていたのですが、あるとき、長崎という土地を題材にした写真の束を持ってきました。
枚数が多かったので、すべてを見るのに一時間くらいかかりました。その間ずっと見続けていたのですが、とても疲れて体力を消耗しました。内容やテーマのこともあって、自分の体がずっしりと重たくなったように感じました。「できれば写真をまとめて本にしたいと思ってて」という話も聞いていたので、そういったことも踏まえて多角的に写真を見せてもらいました。
長崎の写真は、それまでご覧になってきた佐々木さんの写真とは何か違うところがありましたか?
漆原 そうですね。写真としては佐々木さんのこれまでの作品と同じように良いものでした。ただ、長崎の歴史をある程度知っているからこそ、感じられる重みがありました。そこでしか撮れない写真、例えば、爆心地の風景や被曝した時間で止まったままの時計、爆風によって壊れたままの浦上天主堂の聖人像の写真など、象徴的な写真もあるのですが、それらの写真と並列に、なにげない街並みや草木など風景の写真も数多くありました。原爆が落ちた長崎という土地でありながら、その事実だけにフォーカスをしていたわけではなくて、写真集に収まった80ページの写真の半分ぐらいは、現在の長崎の街の風景や、一見すると何を写しているのかがわかりづらい、焦点が合っていなかったりぼやけた写真で構成されています。
そのわからなさや意味づけの出来ない写真を見ていると、よりどころがなく不安な気持ちになってきますが、はっきりとイメージをつかめないまま彼女自身が撮影した長崎という「土地の記憶」に触れることで、自分自身の過去の出来事やルーツなどにも思いを馳せることができて、ごく個人的な体験に結びついていくような感覚もありました。被写体となった土地だけに留まらない、土地の記憶そのものが喚起されるようでもありました。
むしろ、そういう写真集にしなければと思いました。佐々木さんが撮影することで追いかけることになった「長崎」という土地の記憶は、どこかもっと深いところに繋がっているような気がして。例えば旅先なんかで、ある土地との出会いから、その土地とは直接関係のない、自分自身の「記憶」が呼び起こされるという体験は、それぞれに持っているんじゃないでしょうか。長崎を扱いながらも、他者のそういった経験を想起させるような、余白や余地がある写真だと感じました。
でも、重かったんですよね。
漆原 重かったです。実際の写真も、感じた印象も。
重たいと感じながらも、それを引き受けられた。
漆原 重たいというのは別に悪いことではなくて、佐々木さん自身が感じたことや視点の向け方がとても大事なことだと思いました。はっきりと説明的じゃない写真、焦点が定まらないようなぼやけた写真だからこそ、そこに想像の余地が生まれる。佐々木さんの写真は粘り気があり湿度を感じられるような写真が多くて、わかりやすく直接的な表現ではなくても周縁の細かな表情を掬い取っています。
原爆の投下によって何万人の人が亡くなったという事実はなかなか想像しづらいけれど、そのうちの一人一人は、その土地に確かに存在していたわけです。佐々木さんの感性や視点を通して考えること、それを写真集という形でまとめてみようと考えることによって気付かされたことは、とても大きかったですね。この内容や重量感を削ぎ落とすことなくそのままの熱量で出版するには、自分が出版元になるというのもひとつの方法だと思ったんです。
誰かを介在させるのではなく?
漆原 そうですね。当たり前ですけど、プロの編集者に構成をしっかり纏めてもらったほうが、本としては安定感のあるものができると思うんですけど、写真家と僕だけという最小人数でふたりの意見のやり取りだけで作っていくほうが、テーマがぶれずに濃密なものが出来るんじゃないかという思いもありました。
実は以前から、自分自身が出版元になって本づくりをすることに興味を持っていました。ブックデザインは基本的に受注の仕事で、誰かから声がかかって初めて成り立つものですが、もう少し能動的に本づくりに関わりたい。一連の長崎の写真を見せてもらったのは、そうぼんやりと思っていた矢先のことでもあったため、お互いのタイミングが合ったということもあって「じゃあ、一緒に作ろうか」という話になりました。
表紙となった女性の後ろ姿がとりわけ印象に残っています。リストには、「5. 稲佐山から爆心地を臨む」とありますが、なぜこの写真を表紙にしようと思われたのですか?
漆原 初めて写真を見せてもらったとき、100枚以上ある写真のなかで特にこの写真が印象的で、佐々木さんに伝えたら、彼女も「私も表紙はこの写真だと思っていた」と言っていたので、じゃあもう表紙は決まりだね、と早々に決まりました。爆心地の方向を見る女性の後ろ姿なのですが、当時と現在、未来を繋ぐ写真のようにも感じられました。
漆原さんが佐々木さんの写真を通して感じられた 「土地の記憶や体験を喚起されるようなもの」というのは、渡し舟のおふたりが本づくりを通して実現したいと思案されてきたことと重なる部分があるようにも思います。『Ground』と『からむしを績む』がそれぞれに刊行されてすでに月日が経過していますが、あらためて振り返って、ふたつの書籍は漆原さんにとってどういう存在だったと感じられますか。
漆原 それぞれの土地に生きる人々の暮らしやいとなみに思いを巡らせることができて、書籍をとおして歴史の積み重なりを共有することができるといった意味では、似ている点があるのかなと思いました。どちらも、わかりやすく状況を説明するような内容ではなく、撮影者や執筆者の個人的な思いをとおして作られていて、作者の視点を追体験することで、いわゆる教科書的ではない時間の経過や歴史を感じ取ることができます。
『Ground』のステイトメントの最後に「風景と対峙することは、現在を通して過去を見つめ、死者と向き合うことでもある。」とあります。人物にたいしても出来事にたいしても、どういった経緯があって今があるのかということを、想像して考え続けることがとても大事なことだなと思います。
歳をとるほど、人のいとなみは一瞬なんだろうなと感じられます。父や親しい友人など身近な人たちが早逝したのでなおさらそう思うのかもしれませんが、だからこそ、このふたつの書籍はかけがえのない存在です。
* * *
初めて漆原さんの事務所を訪ねたのは、緑が明るく眩しい初夏のことでした。いつしか季節は経巡り、木枯らしが吹き冬の訪れを感じる時期にいたって、こうして無事に最終回を迎えることができました。
存在そのものが求める形を生み出すための媒介者のように、漆原さん自身のなかにある想像の清らかな源泉。その一端に触れるような貴重なお話を聴かせていただけたこと、そして、お忙しいなかで長きにわたって丁寧に推敲を重ねていただけたこと、心からありがたく思います。この度は本当にありがとうございました。
シリーズ【インタビュー|からむしを績む】
tento 漆原悠一さんのお話(5)〈完〉
*次回より、写真家・田村尚子さんのお話を予定しています。
写真提供:鞍田 崇
聞き手:髙橋 美咲
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