写真家・田村尚子さんのお話(5)
からむし布の風合いが美しく写しとられ、白銀色の箔押しがされた本書の表紙をめくると、ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』を導き手として、雪深い村で布を手がける女性の人生を描き出した物語の世界へと誘われました。
短くも濃密で温かい物語を読み終えると、田村尚子さんが撮り下ろされた写真パートへ。冬から春を巡るように撮影された昭和村のさまざまな景色と、やがて布となる植物の姿。それらの多くは、からむしの周辺を歩くように、直接的な接続を限りなく抑制したかたちで表現されています。
「この村の風土がなぜこのように残ってきたのか、それはわかりづらくて当然なのかも」と、田村さんは語ります。検索ひとつで、何でもすぐに回答が得られる現代において、忘れてはいけない指摘のようにも感じました。
最終回では、人のいとなみと文化をつなぐ場として、昭和村という土地そのものへと折々の季節で向きあい続けた田村さんが、この本の制作を通して大切にされたことについてうかがいました。
いとなみの根源へ
写真の並びについては、「季節の流れ」を意識されたとうかがいました *1。
田村 そうですね。冬から始めたというのは、私が一番最初に訪れたのが冬だったということもありますし、季節のサイクルを表現したいと思ったからです。すでにお伝えしましたが、この本では、直接的な作業風景や工程ではなく自然の循環を軸として、からむしのいとなみを見てみたかった。
何度か訪ね、歩き、過ごすという時間を持つことができ、その中で自然から得た知恵や、おばあさんの豊富な経験や歴史、生活の習慣や大切にされてきたことや知恵をお聞きしながら、目に見えない情報を想像する時間をいただけました。
それを可視化するにはどうしたらよいかということ、ここに「在る」人や自然を通して何か「問い」かけがあるかもしれないということをふまえ、まずは写真で関われてよかったですし、昭和村での人との出会いや時間から多くの影響を受けたと思っています。そしてこれからもアーティストの立場からアプローチできることやそれらの気づきを活かしていくこと、昭和村での経験はこの本に限らず続いていくものだと認識しています。
ちなみに、以前お話した 著書 真珠庵『柿』(こけら)*2 では、森の循環とともに木と人間の営み、つながりを表現しています。写真の並びは、南木曽の国有林の森の写真から始まり、最後はその森の中で柿葺の素材となる椹(さわら)の新芽が芽吹いた姿で終わります。完成した写真集はどこから開いてもらっても良いのですが、一冊の中で循環を感じる要素があってほしいと配置しています。これからあと何百年かを経て、このときの新芽が立派な大木に育ち、再びこうしたサイクルが繰り返されるようにと。
田村さんは本書の制作を通じて、「土地の記憶」*3 のようなものを意識された場面はありますか?
田村 そうしたことで言えば、(遡りすぎかもしれないけど笑)撮影も兼ねてよく通っていたおばあさん*4 との会話で、「昭和村で縄文の地層が発見されたよ」とお聞きし、道すがらあらためてその断面などを見たことも印象に残っています。からむしは、縄文土器の縄模様にも使われていたというお話もありましたよね。それほど遠い時代から使用されていたものが現代につながっているということにも、たいへん刺激を受けました。
また、2016年の夏に奥会津の三島町を訪れた際、「その一帯では縄文時代から人が暮らしていた」と聞いたことなども思い返しながら、一万年以上に渡って自然とともに人が暮らしてきた土地自体が放つエネルギーや文化の厚みを感じたというか。そうした場所を自分の足で歩くということ自体に好奇心を刺激されて、とても面白いと感じました。
撮影にあたっては、(渡辺)悦子さんがよく時間をつくって車を走らせてくれて、ふたりで昭和村のあちこちを巡りました。古くからある草原のような小高い丘の上まで登っていって村を見渡したり、およそ八万年前に形成されたという矢野原湿原 *5 のあたりを実際に歩いてまわったりもして、村を歩く時とはまたちがった感触がありました。
当時、頭では整理しきれていなかったですし、どちらも村の外れでからむしとは直接関係はないけれど、そうした体験が入ることで見えてくるものがあったことは確かです。渡し舟のおふたりが、20年以上昭和村に暮らすなかで「見てほしい」と感じる場所をさまざまに案内してくれたことで、その土地に住んでいない者なりの視点から発見できたこともあったのではないかと、今では思います。
縄文から続く人々のいとなみの地層を辿るように、からむしに集約される「何か」を捉えようとされていたのですね。
田村 『からむしを績む』の物語は、リルケの引用から始まっていますよね。そうして印象的な場面を行き交いながら、本を通して旅することができる。からむしの布にまつわるおばあさんの語りの場面には、感情が昂ります。語られる内容はもちろんですが、ひとつひとつの風景が目に浮かぶからなおさらなんです。
そこに住んでいない私が撮影したもの、写真の一葉でその場その場、その瞬間その瞬間のイメージで紡ぐようなことで、掴みきれない地層の空気のようなものを捉えられたらと思いました。からむしの本ではあるけれど、からむしだけで終わらせるのではなく、からむしを取り巻く人や環境という部分に目を向けていく時間をいただきました。
図らずも漆原さんも、「この本は性急に売っていくような物ではない」と仰っていました。
田村 そうですよね。何年もかけて眺めたり、存在を感じてもらえたらいいですよね。村のおばあさんから渡し舟のおふたりへ、藍染の施されたからむしの布が託されましたよね。その一枚の布から何がうごめき始めるのか。そうした問いかけが本づくりの発端にあったなかで、その思いをどう反映できるのかな、この土地に伝わるDNA的なもの ––いとなみの根源のようなところへ入っていけるのかな、という気持ちで、少しずつからむしや昭和村の持つ世界観に溶け込んでいければと思っていました。
螺旋状のように反復されながら、世代を超えて継続されていく記憶の一端を『からむしを績む』も担っていくような。尚子さんのお話をうかがって、そんな気持ちになりました。
田村 おばあさんが普段過ごされている居間の隣に機織りの部屋がありました。その部屋に入らせていただいて、私は織り機そのものではなくて、その織り機や空間が映っている、壁にさりげなくかかっている鏡の中の姿を写しました。物そのものではなくて、鏡を通してその空間をみつめるというか、過去や未来が、時間を超えてさまざまな記憶をつなぐような感覚です。
それは、理解するために必要な説明的なアプローチとは対極の仕方かもしれません。ですが確信的には掴みきれないこの地で積層されてきた物事や時間を、各々の身体感覚を通して幾度も旅することができることを大事にしたかったのです。物語や写真の景色に触れたままの経験がどこかに何か残すもの、微かな残像があればと思ってまとめています。
*
大正末年にこの村で生まれたおばあさんは、藍染のからむしの布について、こんなふうに語っています。
ときには、少女時代に夢中になった川原遊びの話を。ときには、お姑さんに教わった糸績みや布仕事の話を。そして、布仕事と地続きにある衣食住の多くを自分たちでまかない暮らしてきたこれまでの半生について、瑞々しく豊かに描かれています。
村に流れる四季の移ろいを感じて経巡りながら、土地とともに生きた女性の語りにじっくり聴き入っていると、いつしか清らかな河の流れをたゆたい、包まれているような心地になり「ありがたい」という思いで満たされていることに気がつきました。
人や動物や自然が区別されずに、みな自然という全体の一部だったころ、人も動植物も小さな命をつないで生き切って、そしてまた自然へと還る、大きな流れと時間の連なりがあったのでしょう。そうした途方もない循環の中からこの地にからむしが根付いていとなみが生まれ、今に続いていること。そうしたことが、尚子さんの写真パートから体感的に感じられました。
「ほんとうに大事なのは、ここでの ”いとなみ” が変わらずに巡っていくこと。」
今回、田村尚子さんとの連載を終えるにあたって、数年前に本の企画者である「渡し舟」のおふたりからお聞きした言葉が鮮明に思い起こされました。尚子さんが、本づくりで大切にされた姿勢も、まさにそういうことだったのではないか。このたびお話をうかがい対話を重ねながら、あらためて幾つもの大切な気づきを与えていただきました。
昭和村へ通って撮影に没頭された当時のこと、お仕事に対する姿勢について真摯に応えてくださり、本当にありがとうございました。
表紙写真:『からむしを績む』収録作品より
聞き手:髙橋 美咲
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