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記憶力の低い私が今でも覚えていること

私は人と比べて記憶力が低い。何を話したか全然覚えていない。それがたとえめちゃくちゃ大事な話だとしても、好きな人とのたわいもない会話でも、相手が何を言っていたのか、どんな顔をしていたのか全く思い出せない。いちいちメモを取らないと会話の内容が思い出せない。これに長年、いや物心ついた頃からずっと悩んでいる。


でもこれでも某R大学に全学部日程で合格したわけで。短期的記憶、詰め込む記憶はめちゃくちゃ得意だ。高3の時は世界史の教科書を全て丸暗記していたし、就活の時には人事の基本プロフィールから配属の経歴まで全て覚えていた。(気持ち悪い( ◠‿◠ ))


だけどこんな私にも“忘れられない言葉”ってのがある。“忘れられない瞬間”ってのがある。


どんな言葉か?どんな瞬間か?



答えは明瞭、悲しかった時だ。


怒った兄に花瓶を叩き割られた時。父がサンドイッチをシンクに叩きつけた跡。祖母が亡くなった日に恋人に言われた「今日シテく?」。愛してもないのに言われた「結婚したい」。最期を迎える最愛の愛犬の姿、兄にセクハラされた時の情景。「気持ち悪いって言ってたよ」「こいつハゲてる」。父に言われた「きちがい」「殺せるもんなら殺してみろ」。先輩に言われた「マジでキモい」。無理矢理された時のホテルの部屋。道路で犬が跳ねられる瞬間。大好きだった存在が骨になる時。


多分もっとあったけど、記憶力が低いおかげで年々忘れていく。1つ悲しい言葉や瞬間が追加されると、1番悲しくないものが1つ忘れられていくみたいだ。なんて幸せな欠陥だろうか。


でもこの欠陥のおかげで分かる。人の心に響いた「悲しい言葉」や「悲しい瞬間」は細胞レベルで本当にずっと残るのだと。


1番嬉しかったありがとうは何ですか?

と聞かれるよりも、

1番悲しかった言葉を具体的に述べてください。

という質問の方が答え易いのではないだろうか。


言葉は凶器だとか、心の暴力とか、小学生の頃から道徳で散々教わってきた。

けれど生きれば生きるほど、悲しみを喰らえば喰らうほど、その意味がリアルに分かるようになる。

道徳の授業なんかより、よっぽど分かりやすく理解できる。


少ない記憶の容量を悲しいことに使うなんて、自分の脳は馬鹿なのか。

と思うけれど、「悲しい言葉」のインパクトはそれほど強烈ということだろう。



人が傷つく言葉は言わない、

そう決められた自分の欠陥に乾杯である。


#メモしないと生きていけないの結構悩み ( ◠‿◠ ) #私の記憶の期限1日ちょい #楽しかった会話や嬉しかった瞬間ももっと覚えていたい