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「自分」がわからない時に読む話
ここ数日間、メンタルがお豆腐中のお豆腐で、なんなら豆乳レベルにぐちゃぐちゃで、何もしたくなくなって心が死んでいた。ノーハートノーライフやのにな。
何もしたくなくなったのだけど、「何か温かいもの」を自分の中に取り込みたいとは思った。他人とのコミュニケーションでも、美味しい食べ物やお酒でも、恋愛による優越感でもない。私にとって「何か温かいもの」とは意外にも“ 言葉 ”との出会いであった。(そおいやワシ文学部だったわ( ◠‿◠ ))
本というのはなんとも非効率的な芸術作品である、と思うのだ(文学部辞めちまえよな)。科学的論文ではないのだから言いたいことを簡潔に、あらすじを大まかに、結論や主旨を分かりやすく書けばいいのに、大抵の本は「いらんお洒落な表現」を大量に含む。なんなら「いらんお洒落な表現」だけの本もちらほら。退屈だし熟語読めねーし、結論までが長すぎやろが。だけど今の私には、この「いらん」ものこそが「何か温かいもの」になり得た。
2日に1冊くらいのペースで読んだだろうか。その中で自分を温めた“ 言葉 ”を紹介したい。
『20代で得た知見』(F:角川:2021)の中に登場する言葉である。
好きな場所で、好きなことを、
好きなだけしている、
そんなあなたを好きになってくれる人を
まず第一に大切にしたらよろしい。
己を中心とする。
過剰で、素直。
これが最も楽な生き方です。
あ〜〜、温かい。求めていた答えをスッと提示してくれたような感覚。丸亀製麺でちくわ天食べたいなぁ、今日はないのかぁ、、と思っていたら揚げたてのちくわ天が出てきたようなそんな感覚だ(舐めてますかね)。
ここ最近元気が出なかったのは、矛盾に悩まされていたからだった。休みたいのに働かなきゃとか、連絡したくないけど心配されるからしなきゃとか、つまらないけど笑っておくかとか、スウェット着たいけどスカート履くかとか。社会で生活していると、こんなストレス的矛盾にいくつも対面する。
この矛盾をやりこなすのが人間関係がうまくいくコツなのだろうが、人間、心が疲弊している時はこの矛盾に挟まれて見事に潰れる。はい。みんな潰れてマッシュポテトになります。
自分の場合、疲れているけど間空くとなんかあれだから返信しなきゃとか、気分じゃないけどご飯行くからLINEしなきゃとか、デートだからスウェットやなくてスカートでいくかとか。そんな「やりたくないのに」と「やるかあ〜(腰鬼重)」の矛盾で心が豆乳になっていた。びっしゃびしゃよもう。
そんな時、上の“ 言葉 ”に出会った。
自分の好きなことを好きだけやれよと。それをひっくるめて「私」を「私」と捉えてくれる人を、そんな「私」を大切にしてくれる人を愛せよと。
LINEなんてだるいし好きな時だけ返したいし、デート行くまで毎日くだらない会話とか続けられんし、淡色女子♡よりカジュアルでいたいし。そんな自分の個性をぴかーんと尖らせろよって。過剰で、バカ素直でいいんだよって。
そんな風にこの言葉は言ってくれている。
社会で生きていると「自分」にバカ素直に行動することは難しい。だけど「自分」の個性をあれこれと知り、強く自覚し、バカ素直に「自分」を愛せたらきっと己中心の幸せな世界に住めるはずだ。
私はこの言葉に出会ってしばらくLINEを辞めた。インスタも本当に好きな投稿だけ残した。自分の時間をわざわざ共有するのも辞めた。勉強に集中したし、好きなだけ本を読んだ。男に媚を売るのもやめて好きな服とメイクを選んだ。「自分」が「自分」って感じが凄くする。孤独が幸せに変わるのが分かる。これが己中心の世界ってやつか。
そんなこんなで少しずつ元気を取り戻して、豆乳は豆乳プリンになり、今は絹豆腐くらいには回復している。やっぱり“ 言葉 ”のエネルギーは凄まじい。たった一言で、人の人生を明るく照らす。「いらん」と思っていた“ 言葉 ”が栄養になる。自分の中の矛盾に打ち勝ってくれる。
私は「自分」が分からなくなったら何度でもこの“ 言葉 ”を思い出すと思うし、「自分」が分からなくて心が豆乳になってしまった人がこれを読んで“ 言葉 ”の栄養を吸収し、少しでも豆乳プリンや絹豆腐になれたらいいなと思う。
何の話や( ◠‿◠ )
#オチを作るのが昔から大苦手 #美味しい物を食すより恋をするより一人で自分を楽しむことが一番のエネルギーになる #死にたくなったら寝ろも好きな言葉 #いつか木綿豆腐になれますように