愛すことに長けているだけ、だけ
ある程度の年齢まで、愛するというのは一種の恋愛感情だと思っていた。好きの上が大好きで、大好きの上が愛している、なんとなくそんな風に捉えていた。
でも二十歳を超えた頃だろうか、愛するというのは恋愛感情ではないということに気づいた。それは恋人だけではない、家族、友達、守りたい弱い存在。色んな人を想う時の感情が愛するということだと感じるようになった。
私はよく人を愛している。家族や親しい友達だけではない。たとえ愛の見返りが求められないような人であっても何故かすぐに愛してしまう。人がよく私のことを「優しい」と言うのはそれ故だろうか。
この前も、電車に乗っていたら目の前に座っていたカップルの彼女の方が、スマホの充電がないと喚いていた。帰り道暇すぎるだの、親に連絡できないだの、モバイルPASMOが使えないだの。充電がどれくらい残っていたかは知らないが、とても困っていた、というか機嫌が悪かった。あいにく彼女も彼もモバイルバッテリーを持っていない様子。別に無視しても良かったのだ。その日一日充電の配分を考えずにいた彼女が悪いのであって、ましてや彼氏のいない私からすれば少しばかり妬ましい存在。でも出来なかった、すぐに人を自分の愛で助けたくなるのが私の本質らしい。私は名前も知らない彼らを愛してしまって、見返りのない愛情を寄付した。愛の見返りに、空っぽのモバイルバッテリーだけが返ってきた。
こうゆうことがよくある。きっと相手は何も求めていないし、見ず知らずの他人に助けてもらえるなんて思ってもいないのに、そこにすっと手を差し伸べる癖が抜けない。
無論、愛など返ってきやしない。
無償の愛で世界が回る、それだけなのだ。