2023年 心の整理
2025年を目前にして、2023年の振り返りが下書きに残っているのを見つけて読み返してみた。
うまく書けていないけど、当時の葛藤がすごくリアルに言葉に乗っていて、なんだかこれを残してくれた過去の自分にありがとうって言いたくなった。
下書きのままにするのもなんだかなあって思ったので未完成のまま公開してみる。生ものの感情や言葉を再編集するのは違うから、そのままで。
2023年といえば、
世の中では「君たちはどう生きるか」の映画が流行っていたけれど、人生20周年を迎えた私は「なぜ生きるのか」の段階で彷徨っていた。
この一年、私の心の中で起こっていたことを書き出してみようと思う。
真っ暗なトンネルの中にいるよう
いつからか、楽しいはずのことにも心からワクワクしなくなったり、全てのことに悲観的になってしまって、自分が自分ではなくなったみたいだった。
自分でもなんでこんなにも辛いのか分からなくて、抜け出せなくなってしまった。
でも、何不自由ない生活を送っているのだから幸せだよとかそんなんで生きてるのがつらいなんて贅沢とか言われることもあって、
すごく充実した環境の中で過ごさせてもらっていることは自分でも分かっているけれど、つらいのはおかしいのかとか誰もわかってくれやしないと決めつけて、
周りで頑張っているキラキラしている友人たちにこんな落ちぶれた自分を見せるのが怖くて、偽ってちょっといい自分だけを見せたりしていた。
それと同時に、これらの悩みはすべて今の状況から変わらないための言い訳なのかもしれないとか。
高2から、挑戦するのが楽しくって、色々なことに踏み出してきたけど、それも怖くなって全然できなくなってしまって、comfort zone内だけで過ごしてた。
たぶん子育てとか教育とかを学ぶ中で、親の子育てに対する今までの疑問とか不信感とかが積み重なっていきづらさをそのせいにしていた。今まで気づかないふりをしていた心の傷が表に出てきて、今の嫌いな自分の現状の言い訳にして、沼ってしまったんだと思う。
この自分の感情に蓋をして生きづらさをじながら生きることもできたし、何度かそれを試してみたけど、効果は一時的で良くならなかった。
少しだけ光が差し込んだ
だけど、上部だけ偽っても自分の根本の部分は変わらないのは分かっていたし、自分の行動でしか未来は変えられないことも知っていたから、どうにかして抜け出したかった。
見離さずにいてくれる人たちがたくさんいて、こんな状態の私のことをリスペクトしてくれる友達や後輩がいて、支えてくれる大人がいた。
意外と外からは分からないだけで、どんなにかっこいいと思う人生を生きている人でもなんでこんな自分なんだって悩むんだと知ったら、ああ別にこうやって悩むのは普通のことなんだって
それと同時に、いってもらうまで分からなかったってことは、自分の悩みも言葉にして伝えないと伝わらないんだなって。私は言葉足らずなところがあるから、周りからしたら明るいところだけ見て
生きる理由ってなに
別にいつ死んでもいいなあとか、いざ死ぬとなったら怖くて生きたくなるのかなとかそんなことをたまに考えていた。
でも、だんだんと、別に生きるために明確な理由なんてものはなくてもいいんじゃないかって。ただ生きられてるから生きてるのでもいいんじゃないか。死にたいけど死ぬのは怖いから生きるとか。
私は自分のためというより、私のことを愛して応援してくれる人のために生きたいなあと思うようになった。
今まで生きるために必死になったことがないからこんなことを考えているのかもしれないけれど。
今まで自分のために生きてこなかったから、分からなかった
わたしにきっかけを与えてくれたもの
ことば
親も1人の人間なんだと気づかせてくれたし、私の両親はただ愛情の伝え方が不器用なだけだったのかもなって思わせてくれた。誰にだって合わない人はいるし、それがたまたま親だっただけなのかもなって。こんなにも出来の悪い娘にたくさんお金をかけてくれてここまで育ててくれたおかげで、私はかけがえのない経験と友人に出会うことができたと思うと感謝しかない。
本当のありのままを愛してくれる存在に出会って、これでも生きてていいんだって初めて心の底から思えた。
ああ、これが愛なのかって
ひと
経験
トンネルの先の世界
こんなことをぐるぐる悩んでいるうちに、現実世界では留年一歩手前になっていた(笑い事ではない)
でも、真っ暗で出口に向かうどころかどんどん深くなっていくトンネルに光がさすまでに2年くらいかかったけど、長い人生の中でみたらすごく大事で必要な時間だろうと思う。他の人と比べてしまったら自分はだいぶ遅れているかもしれないけど、今このタイミングで自分の心と向き合えたことはすごく意義があることだと思う。
これから先辛いことがあっても、自分の進む方向は決まってる。
闇を抱えながらも光のある方へいきたがるなんて、なんだか人間らしくていいじゃないか。もしかしたら私は、この厄介な闇の部分すら、心のどこかで分からないから面白いと思ってるのかもしれない。哲学的な思考とかも。こうやって深く考えて悩む人ばかりではないかもしれないけど、傷ついたり悩んだりする経験を通して、本当の自分を受け入れてあげて理解したからこそ、強くて優しい人間になれると私は思う。
自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、自分が死んで悲しんでくれる人がいるのかもなって思うと、
ふと周りを見渡してみると、私の周りには私を助けてくれる人がたくさんいることに気がついた。
未来のわたしへ
自分には出来ないと諦めるのではなく、自分にもできると信じて、叶えるためにどうするかを考える。
自分を信じられるようになるために、一つずつ少しずつでも頑張ってみよう。
自分の感情を否定するのではなく、受け入れてあげる。
自分の可能性を信じて応援してくれる人の中に身を置く。
誰かが好きな自分じゃなくて、
自分が好きでいられる自分になろう。
誰かの為を思いすぎて、自分の気持ちに嘘をつかないようにしよう。
他人と比べて卑下するより、過去の自分と比べて成長しよう。
人が望む人生じゃなくて、自分が思い描く最高の人生を歩むために努力しよう。
私の人生、思う存分楽しんでやる!
今まではなれもしない完璧を求められて、それを無意識のうちに自分でも求めてたのかもなって。
自分を思ってくれてる人たちに囲まれて、ワクワクする方に向かって生きていきます。
頭のどこかで分かってはいたけど、納得出来て初めて受け入れられるものだと思う。
MISAKIという人間
今まで自分で自分の人生を生きていた実感はなくて、無意識のうちに自分の本当の気持ちを抑えてきたから、自分の本当の意見とか持てなくなって、それを言うとなると勝手に涙が出てくる。受け入れてもらえない経験が怖いという感情を作ってしまったのかもしれない。
おれは助けてもらわねェと
生きていけねェ
自信がある‼︎!
ワンピースのルフィーの言葉を借りたいくらい
私もそうだなあと感じた一年だった。
今までお金には困ったことはないし、中学から大学まで私立に通わせてもらって、いい教育を受けてきたし、社会の基準では平均以上の贅沢な暮らしをさせてもらったと思っている。でも、それでも心は満たされなかった。だから、私の心を満たせるものはお金じゃないんだなって気づいた。
親は経済的に厳しいところから頑張って稼いで、今の暮らしを掴んでいるから、自分の子どもにもそれと同じかそれ以上の暮らしをしてほしいと望んでいるんだと思う。でも、それが私には辛かった。
私はよく、自分の中で納得がいかないものは、破り捨てたり、データを消したりして、なかっとことにしてもう一度やり直してきた。一度立てた計画通りに行かなかったり、プレゼン資料のデザインに納得がいかなかったり。だけど、人生にそれは通用しなかった。
自分が先行してしまった年だったな。