ただ、ひたすらに
2016年3月、私はスペイン マドリッドにいた。
当時、離婚して3歳の子ども1人を実家の両親に預け、私は思い焦がれていたスペインでフラメンコを学んでいた。
日本で教えてくださる先生と一緒に、彼女の自宅に宿泊しながら、アモール・デ・ディオスとロブレドのスタジオを往復した10日間。
私は必死にフラメンコに集中した。新しい振り付けに戸惑いながらも、La Tatiの言葉を、纏うオーラを、コンパスを、リズムを、どれも見逃したくなくて、必死に感覚を研ぎ澄ませていた。
それでも私の踊りを不思議そうに見つめるTati。
そんな彼女をみて、私の踊りの何かが決定的に違うことは明らかだった。
でも何が違うのか、Tatiが私の踊りの何に違和感を感じているのか分からない。
私は、ただひたすら、Tatiが奏でるリズムを、オーラを感じるしかなかった。
それでも、
知りたかった
理解したかった
なぜ私がこんなにもフラメンコに魅力を感じて仕方がないのかを。
Tatiが私が帰国する前に、「あなたは美しい」と言った。
きっと彼女は、私の必死にフラメンコを理解しようとする姿のことを言っているのだと思う。
私はただ、ひたすらフラメンコを知ろうとした、理解しようとした、感じようとした。
その姿が美しい、そう言われたのだと思う。
Tatiにとってそう見えたのなら、結局私の踊りに何が足りないのか分からなくても、私がいたこの期間は無駄ではなかったのかもしれない。
その時、私にとって必要だったのは、フラメンコを感じようとする心だったのかもしれない。
あの時の経験は私のこれからに大きく影響している。
ただ、ひたすらにフラメンコに感覚を研ぎ澄ませたあの経験が。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
みなさまにとって、今日が明日を作る実りある1日でありますように。